2019年10月5日土曜日
不器用と器用
久しぶりにちょっと長いよ。
考えることが多い。考えなければならないことが多い気がしている。
カヌーについて、しかし、考えている。
梅ボーイズの軽トラ。見かけたら声かけてね。
ぼくはカヤックを16で漕ぎ始めてから、水の上で同い年や年下に出会うことがなかった。水の上はおじさんだらけだった。一番年が近かったのがなおきさんだった。金魚のフンのようについてきた。
嬉しいことにかのあには、現在ぼくより年下のカヌーガイドがいる。
カヌーを初めて1、2年そこらで川行経験も乏しい中ここまで漕げてしまうのか?
若者二人が無事に試験にパスした。素晴らしい。
私が同じくらいのときとは比べようもない。私が24のときならこの試験は落ちたろう。技術も性質もクソ味噌の問題児でしかなかった。まあ、あまり覚えてない。
借りたBeeのセミドライで空知川で沈してたときだもんな。右も左も、上下も分からん時代。きなせさんのかっこよさ、つっちーのさりげない優しさ、りょーくんの自由さ、ごあさんのアグレシッブ、クラさんのユーモア、全てが神様に思えた。
経験値においては比べようもないが、
あちこち、いろんな人と漕いで導き出してきた自分たちなりの答えを彼らは日々から、酸素を吸い二酸化炭素を出す一連の流れのように、自然に取りこんでいく。
ぼくらが彼らのときには、すぐそばにぼくらのような存在はいなかった。この伝統芸能的カヌー技術は、はて、いつまで、連なっていくのだろう。川の流れのように、変わり続けるのが技術なんだろうから、残るものは残り廃るものは廃れるのかな。
2008年、洞爺湖。シングルパドルの奥深さにぶち当たったとき、
思えばカヌーを担ぐことすらひ弱な私はできなかった。
まわりの先輩方(福島豪氏、松澤直紀氏)がヒョイヒョイカヌーを担ぐ中、私はカヌーにつぶされて戦力外。
諦めずに今日こそは担ごうと試みてはつぶされてを繰り返して数カ月。ある日突然担げるようになった。
成功体験である。
できないことはいつかできると信じ、逃げずに向き合えばいつかできるようになることを学んだ。
しかし、後にかのあに後輩たちが入ると、なんてこった、大半の人がその日からカヌーを担ぐではないか。その日から、16フィートを扱いこなすではないか。
私が積み重ねたあの日々は??
しかし、それが様々未成熟な私には必要な時間だったと思われる。
乗り越えられないものは何もないことをカヌーに教わった恩があるおかげか、せいか、私は今も変わらずカヌーを好いている。
生まれ変わったら、器用な星の下にお願いしたい。
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