なんだか、自分が思っているよりずっと、人様はぼくやぼくのまわりのことをあれこれ気にしてくれているようで。いやはや、ありがたいやらお恥ずかしいやら‥参ります。
ちっぽけななりにぼくも表現者なつもりであって、ツラかったりしんどかったりするときに、それらを面白がってしまうどうしようもない自分がいるのも事実で、
芸人ではないけれど、得体のしれないキョーダイは芸人やっているわけだけれど、ネタが増えてほくそ笑んでいる自分も確かにいるわけでありまして。幸せだと芸が鈍るという悲しい事実もあったりして。
「足りないくらいがちょうどいい」なんて名言もあったりして。まあ、ぼくの言葉ですけれど。
ぼくは舞台を「日常」、「暮らし」にしていたいわけで。
スポットライトや多くの人の目が必要な訳ではないのです。
『てやんday』に嘘はないけれど、かといってこの文章がノンフィクションかと言われると‥、思いは言葉になった瞬間嘘になるから、一生気持ちにペンが追いつくことはないし(ガイドも氷濤マンも話を盛るのが常ではあるし)、だから追いかけ続けるのだしとぼくはふざけたことに思ってしまうのです。
毎年調子が悪い芽吹きの春。なおさんに160キロ超の速球を投げられました。
とっておきの言葉なので書きません。
とっておきや特別はいつも、心の中にとどめるに限ります。
見逃し三振。全く身体が動かず。というか、脳天直撃デッドボールかな。
まあ、なんというか、頭が上がらないのです。
写真は、「念ずれば花開く」証。
大暑の今日、手にしたことにも何か意味があるような気がしてならない。
近々詳しくご報告させてもらおうと思います。
月とカヌーは、切っても切れない間柄。
旧暦では「もっとも暑い真夏のころのこと」を【大暑】と呼ぶ。
(『日本の七十二候を楽しむ』より)
蒸し暑さを昼の一雨が少し吹き飛ばしてくれた。
カヌーの下は揺れる水草の季節。
曇ったりパラッと降ったり晴れ間がさしたり、今日も君は忙しい。
君に負けないくらいぼくも忙しい、か。
ちゃんとかどうか、まともかどうかは分からないけれど、心は悪にも善にもその間にも、全方位に解き放って好き勝手に生きています。生かされています。
感謝。
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