先代(左)とは五年ほどの付き合いになる。
ナイスなステッカーは、横浜で開催された「脱原発世界会議」で名古屋の見知らぬおじさんからもらった。
そのイケてるおじさんが去り際にボールペンを落としたので、拾って声を掛けたら、感謝の意を込めて特別だともう一枚ステッカーをくれた。
その後ネット世界でつながったなら、イケてるおじさんはバイク事故で義足になったという。
表面はPatagoniaステッカーである。
コーティングはぼろぼろに剥げていて、みすぼらしいと誰かは言うだろう。愛があれば大丈夫だと思ってきたが、年の所為か水漏れがひどく、ザックの中で失禁することが多くなった。
パッキンを取り替えてあげればいいのだが、締まりが悪いだけでなく保温力も落ちてきている気がした。
そんなわけで、先代は自宅用として使うことに。
新作は、迷うことなく信頼と実績のサーモス。ブランドも容量も色も同じ。
が、五年の間にサーモスは進化した。
なんせ、軽い。その重さ、約220g。
ホーボージュンさんも「軽さは正義だ」と説いている。
パッキンもワンタッチで取り外しができるようになり、使い勝手が格段に向上しているではありませんか。
200mlでも500mlでもなく、350ml。この容量がかさばり具合的にも容量としても、ぼくには、ピッタシちょうど良い。
(ほわわわーん‥)
19歳だか20歳だかのクリスマス。JR蒲田駅近くのファミレス。
当時付き合っていた彼女は体調不良。ぼくはせっかくのクリスマスだからと少しの時間だけだと会いに行き、既に自分用に買って機能性は実証済みであったケータイマグと何だかを得意げにテーブルの上に出した。
満面の笑みで受け取ってくれると思ったら、「なんで水筒?」と訝しげに首をひねる彼女。ハッとした。
‥ああ、そうか、ぼくが欲しいと思うものは誰しもが欲しがるものだと今の今までずーっと思っていたけれど、どうやらそれはちと違うらしい。「ちと」どころでもないらしい。
それまで根拠のない自信を持って、さまざまなプレゼント作戦を遂行してきたぼくには衝撃的真実であった。
今頃彼女は、あのときどんなリアクションをしたかなんてことを思い出すこともなく、ぼくのことなんてのはとっくのとうに忘れて、誰でもない誰かへ情熱的な愛を唄っているのだろう。
それでいい。それがいい。
きっと、君も元気にやっているのだろう。
あったもの、なくなったもの、あるもの、あり続けるもの。何が偉いということはないのだろう。
積み重ねればすごいのでも、短ければ軽いのでもなく、何事も熱量、向き合い方、姿勢、付き合い方、覚悟、なのである。「人」と【人】との「間」にあるものは、誰にも評価されないでいい。
あのとき、ぼくらは今よりずっと不器用でヘタクソだった。
ただ、「在」ったことを、「知」っているのは、誰でもない己の心、だけ。
心に教えてもらうだけ。
心より確かなものをぼくは持たずに、冬場は左手に信頼のサーモスのケータイマグを持ったなら、君とどこまでも行きたいと思う。
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