2014年3月31日月曜日

ニーチェ「求めるものはここにある」

仕事が始まると夏も冬も、ぼくは仕事人間になる。
仕事の中に喜びも悲しみも成長も反省も出会いも刺激もつながりも‥ありとあらゆるすべてが詰まっているから、他のことに気を取られる隙がないし、不要になる。

夏の仕事が「やりがいだらけだ、やりがいしかない」とあるとき忙しさの中で心を失い愚痴ったことがある。
聞き手は、「何となく働いている人が多い中でなんて贅沢なことを言うのだ。」とぼくを諭した。


ニーチェは「職業は生活の背骨だ。‥悪から遠ざけ、くだらない妄想を抱くことを忘れさせる‥」と言っている。

ならば、「背骨」を季節ごとに失うぼくの暮らしは、無脊椎動物期の思考はすべて「くだらない」ことなのだろうか。
自分を直視することからの逃避=仕事に没頭することの恩恵でもあるのでは?

沢木耕太郎的に言うならば、自己に淫する。これをそろそろぼくも卒業する時期に入ってきているのだろう。今しかできない苦行、贅沢。最後の春、なのかもしれない。

仕事をはがした、あなたには何がありますか?
生きるためには、なかなか剥がせないわけですが。
ぼくには何があるだろう。

何でも難しく考えすぎだとある人は言った。
そう分かってはいてもこねくりまわさずにはいられないのは何だろう。

ぼくはコーヒーが好きだ。
自分で淹れるのも、誰かに淹れるのもお店で淹れてもらうのも好きだ。
いや、コーヒー周辺に流れるスロウな時間が好きだ。
忙しいと淹れることを楽しめない。


食べることも好きだ。

自分の居心地の良い空間を見つけるのが好きだ。

札幌、月寒公園。【Cafe空Kuu】にて撮影。


ぼくも今、今までないがしろにしてきた「宝物」を探している。


2014年3月30日日曜日

『釈迦』と春雨

『釈迦』瀬戸内寂聴さん。

「仏教小説」という言葉があるとは知らなんだ。

登場人物の名前に聞き覚えがあるのは手塚治虫さんの影響だろう。

にしても、本当に上手い。いやらしいなあ。

2014年3月29日土曜日

切に愛

寂聴さん曰く、
「切とは切実の切、大切の切。」

いつ死ぬか分からないから、切。

愛に理屈はない。

好きになるのに理由や公式なんてない。

引っ張られるだけ。
導かれるだけ。
思い出すだけ。


切に恋する方をもてなした。

いやはや、素敵だね。

つながりんく~知床らうすリンクル

ぼくが自然環境系生物オタク学校在学中、比較的現代的若者色の強かったお隣のクラスには「なおねえ」と呼ばれるべっぴんさんがいた。


彼女は卒業後、知床・羅臼に住みつき、
ハーレーでかつてぼくの家へ遊びに来て、いつもどこにいるか分からない根無し草に「日本一の山ガールだ」と言わしめた。

HPはこちら。
【知床らうすリンクル】

ネイチャーツアーのみならず、「加工体験ツアー」なんて面白そうなこともやっているようだ。

ブログはコチラ。
ガイド菜生子の知床らうす“Lincle”な日々

知床へ行く機会がある方は是非、足を運んでみてくださいね。


ぼくは「脱街人」を応援している。
中央や地方という言葉自体はあまり好きではないが、

日本の中心は東京ではない。各々のいる場所が、自分の足元が中央だ。


2014年3月27日木曜日

背中で語る春凪美


水の上もいつの間にか毎年見知った「春」となっておりました。

「春」は徐々にではなく、突然、‥気が付けばそこにあるものなのだなあ。


‥ミスチル、か。



春凪はどこまでも静か。



説明不要の美しさ。


平穏な心、説得力のある暮らし、共に見習いたいものです。


「自然はあらゆる示唆に満ちている。」

by 石川直樹さん『この地球を受け継ぐ者へ』





 たっぷりと漕いで満足。


車に戻ると‥


‥こ、これは。


必死で駆け抜けた氷の日々が懐かしく、嬉しくなってしまいました。


しょうきち曰く‥
ぼくらもやっぱり草や木と同じなんだね。春が来て、お日さまに照らされれば芽を出さずにはいられない。そしてやがて花を咲かせ実を結ぶんだ。

『平成狸合戦ぽんぽこ』より。


春です。始めるなら今、です。


2014年3月26日水曜日

すぐそこ 千歳川

滑るはずの時間は、気付けば漕ぐ時間となった。

カヌーで千歳川を行く。

カヌーが犬なのか、ぼくが犬なのか、
おじいちゃんの犬の散歩。
ぼくがおじいちゃんなのか、カヌーがおじいちゃんなのか。

静かに大人しく、おじいちゃん、思う。



川は勿論、陸だって流れ続ける方が楽なのだがなあ。



考えているようで何も考えないようで考えているようなふり。
昨日の寂聴さんの仏教入門書は目から鱗だった。そういえば昔フラれたときにぼくを救ったのは、たかのてるこさんの『ダライ・ラマに恋して』だったではないか。

「執着せずに愛する」ことを登場人物のカルマは言っていて、感銘を受けたもののその教えを生きているうちに実践することは至難の業であることをわりと早くに未熟者は理解&放棄し、
この頃のぼくはというと東京・中野「カルマ」という店に足を運ぶことが多くて‥、

まあそういう「たまたま」をまたまた馬鹿みたいに信じ続けた結果として、今ぼくはここにいるわけで。

因果、である。

そんなわけだから、ぼくときたら「だからどうした」の嵐にもみくちゃにされるのが常ってもんで。


サクラはもう見飽きた。
いつもあちこちにドタバタと動き回っていたので、こうしてゆったりと春を待つのは初めてで、目の前の景色より魅力的な場所がどこにも見当たらなくて、消極でなくむしろ積極的にここにいたくている。
ここから、世界中どこにだって行こうと思いさえすれば行けることもわかって、物理的にも精神的にも、
今、「ぼくはここにいる」。

いきものがかり、か。


いつも春は、ちぐはぐな心と身体を縫い合わせるのが大変であっちにもこっちにも迷惑をかけて自分自身も振り回されていたから。




突然、ムースの群れが目の前を横切る。


あ、エゾシカか。

家からすぐのこの川は、たまにビッグサーモンリバーになる。



なかなか吹っ飛ばない布団、か。


ぶっ飛びついでに、ぶっ飛ばない布団の代わりに今春のちょっとした決意を公開してしまおう。

ぼくは、
二度と来ない今年の春を余すことなく、「切に生きる」のだ。


※「切とは、切っても切れないこと、つまり今、自分がしていることに没頭しきることです。切実の切、大切の切です。
食べるときも、切に食べる。眠るときには切に眠る。愛するにも切、学ぶにも切であれ。
死後のことを思いわずらうな。今、生きているこの一瞬を切に生きれば、それでいいじゃないか。」

瀬戸内寂聴さん『痛快!寂聴仏教塾』より。


2014年3月25日火曜日

『痛快!寂聴仏教塾』

早川義夫さんの『たましいの場所』つながりで一冊ご紹介。



ぼくは、岡本太郎の母について書かれた『かの子撩乱』を読み、瀬戸内晴美さんの言葉に惚れた。
情熱量、愛情というか、その熱量にいたく感動した。

が、どうして晴美さんは寂聴さんになったのだろうか。

本書によると、「縁があった」ということのようだ。


苦しみや悲しみは心が産み出す。
心が存在しなければ苦しみも悲しみも消える。
これは『般若心経』のメッセージ。

仏教というのには長い歴史があるのに、ぼくにはとても新しい思想だった。
どうやらぼくは自分の心にこだわり(とらわれ)すぎて自らを不自由にしてしまう癖があるようだ。

宗教ってなんじゃらほい、そんなぼくでも、勿論大人でも十分楽しめる本です。
イラストはちびまる子ちゃんのさくらももこさんやで。