新しい道具にもて遊ばれている。
焙煎というのは、なんだか敷居の高い字数、専門性しか感じないが、
あの、ポップコーンつくるみたいな感じで、実は網さえあれば、生豆さえあれば、火さえあれば、実は誰でもできることを知る人は少ない。
カヌーに乗る人の数より少ないかもしれない。
どちらにせよ、マイノリティだ。
ぼくもそう思いこんでいた。
なんとなく、手を出してはいけない聖域のような気がしていたが、なんとなく、やってみれてしまうのだ。
純粋なる好奇心に、様々な狙いや意図がついてくると、
回そうと企てると、振り回されることとなる。
農園の方、収穫後の手法、仲介人、季節、気温、豆、国、狙い、挽き目、抽出、飲む人の舌‥
いろんな要素が複雑に絡み合って、一杯のコーヒーができあがる。奇跡。
しかも、それをおいしいと感じたなら、奇跡三乗。
おいしいはつくれる。のか?
おいしいは、各人の好みでしかない中で誰もがおいしいと感じる味なんてあるのか?
どこぞやで飲んだジョッキコーヒー。
インパクト。
‥すべてが揺らぐ中で、機械でもない人間の手で同じ味なんざつくれるか!
つくれないのが、自然だ、と寺田本家の優さん×神澤則生さんは『spectator 発酵のひみつ』にて言っている。
ちなみにコーヒーも発酵、つまり微生物の働きが欠かせない。
「工業化していくと食品業界は均一を求めますよね。全部同じにしなきゃいけないって。‥自然だから同じじゃないのが当たり前。そこが魅力‥」
そう、同じ味とならないのが本来は自然!
ああ、手網焙煎で味わってしまったあの感動を。
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