2013年4月15日月曜日

カルマ

業。


やらなきゃハドソン!



「高尾山がすきだっ!」大好評。ありがとうございます!
僕が掴もうとしているものは、みんなが見たいものかもしれない。

嬉しい!

いろいろはまた!

いい夜を★

2013年4月13日土曜日

「新しい唄」@新宿のセントラルパーク


NANKASHINIGHTからそば屋、ツタヤ、御苑前‥ふらふらと街をさまよい、あたたかい空気に包まれながら、家に帰ったのは三時ごろ。

朝、はまだくんからの連絡で目覚めた。

僕が新宿でゴールデンNIGHTを過ごしている頃、彼は横浜で素敵な夜を過ごしていた。


ちょっと会わない?

ではではいきますか‥





「新しい唄」

新しい唄が必要じゃないか

新しい風を起こすために
新しい風になるために

ぼくら いつでも 生まれ変わるんだった

朝が来るたび まだ知らぬぼくに はじめまして

なあ、どこかだだっぴろいところに行きたくないか

あれ いつもよりちと太陽がまぶしいな


昨日のお酒がまだ残ってる?
風呂にもそういや入っていない
なんか、オレ、臭くない?
え、お前あの子と呑んでたの?


タリーズのトースト、カフェラテ、芝生、ビル、くつした、銀杏ぼーいず


新しいぼくら、どこまでいこうかな

はだしでとらえる大地の感触

新しい 唄、風、ぼくら

春が来た、春が来た 動き出す生物たちの春夏秋


太陽の下に行こう


新しい唄を一緒に口ずさもうよ


太陽の下で会うその日まで

誰でもない、自分のために頑張れたなら、誰かのために頑張ることなんてわけないはずだ





★★★★★★★

special thanks。


 タリーズのトースト。


はまだくん。

銀杏ぼーいず。


 セントラルパーク。


NANKASHINIGHT~なんかしないと@新宿ゴールデン街の無銘喫茶

「なんかしたいなぁ〜
気軽になんかできれば
そうだ!花金にゴールデン街の無銘喫茶に行こう!(((o(*゚▽゚*)o)))
なんかしnightねー!」
(きんちゃんより)


呑んだお金が被災地支援に回るという、素敵なお話。
呑みましょう、呑みましょう。
開催予定等のブログはこちら。なんかしないと

とりあえず、呑み屋がひしめく花園一番街をさまよい歩く。

友だちの大切な人は僕の友だち、でしょ。‥え?図々しい?聞こえましぇーん。
自分の大好きな友だちの友だちを好きにならないことなんてあるのかなあ。


 ‥あった!ヒントの黒板。

吾輩は猫である。次にビシッとここにたどり着く自信は、まだない。


そういや、人に連れられずにゴールデン街に潜入したのは初めてか?一見さんへの好奇の視線ビンビン、感じるぜ。

「で、なんでここに?」

すかさず、友人数名の名前を上げる。ぽんぽんぽん。


「え、ああ、そういうことね!あいつらうっさいんだよね~。」

人が入って来るたびに席を詰めていく。


「ところであなたは何つながり?」
『ああ、あなたも友だちの友だちでしたか~』

隣のおにーさん、夜のゴールデン街を渡り歩く十年来のおじさんコンビ、きれいなおねーさん、いろんな人たちが、小さな部屋に寄せては返す。

久しぶり、またね、はじめまして。


こんな夜を、あと何度でも味わいたい。


 山に行きましょう。ユーコンを漕ぎましょう。北海道で会いましょう。shake hands.




昭和の末っ子酔っ払いは大ブーイングの中「命」で締めましたとさ。

命を大切にしよう。当たり前のことを実践しよう。


2013年4月12日金曜日

高尾山がすきだっ!


たまには重力に逆らいたくもなる。でも、あくまで気軽にいきたい。ローリスクで楽しみたい。
「何してんだろう」と自問自答をせずに済む場所へ電車で向かった。

標高599M、高尾山。小学四年生から始まった新宿の田舎的超少数精鋭型小学校・高学年遠足の場である。学校的にはR小学四年生ということか。
四年生の時は手を引っ張られ、五年生で余裕が生まれ、六年生になったらみんなを引っ張る。
僕はここで育てられたわけだ。
ミシュランがなんだ。ここは何も変わらない。いや、トイレはめちゃくちゃきれいになった。

夜のムササビ観察の記憶も印象的だ。



「耳をすませて 歩いてみれば 」

(by七尾旅人「リトルメロディ」)

聞こえたのは、とことんpeaceful sounds.

写真のことはよく分からない。けれど、どんな写真が好きかは、はっきり分かっていて、こういう写真は僕にしか撮れないという小さいけれど、断定的プライドもある。

来れないと思っていたはまだくんが突然現れた。
友人たちの驚く顔を見るのが好きだ。


僕が撮りたいのは、景色ではない。自転車でもカブでもカヌーでも電車でもない。人だ。誰でもよくない人だ。美しい自然とか、好きだけれど、山とか畑とか海とか川とか大好きだけれど、前提条件として人がいないと僕は駄目だ。誰でもよくない人の前では、青い星、地球もかすむ。

人のいないこの世に未練のある人なんて逆にいないか。

学生のときなんかは、景色だけだった。
屋久島実習を振り返ったとき、友人の写真を見て僕は気付いた。僕は撮りたいわけでもない風景を何となく切り取っていて、一方彼は構図がどうとかではなく、僕の見たことのない友人たちの様々な顔を切り取っていた。僕の知らない友人たちの顔を写真の中に見た。同じ時間を過ごしたのに、僕の「屋久島」と彼の「屋久島」は明らかに別の場所だった。

そうか、僕は人にファインダーを向けるのがこわかったんだ。
それから意識的に人にピントを合わせるようになった。最初はぎこちなかったかもしれない。でも、もう僕はそこにしか合わせられなくなっている。

「僕」はそっちの方が断然向いていると思っている。



本当はもっといい写真があるのだけれど、出し惜しみをしてそれなりな写真を選んでいる僕は、だから「僕」なのだろう。

いっとう大切なことはやっぱり出さないでしまっておくに限る。

血や肉、排泄物はいくらでも晒せるけれど、宝物は絶対出さない。表現者は、宝物を出すのか?
だとするならば、やはり僕は表現者崩れでしかないのだろうか。


これはスナフキンの言葉。

「なぜみんなは、ぼくをひとりでぶらつかせといてくれないんだ。もしぼくが、そんな旅のことを人に話したら、ぼくはきれぎれにそれをはきだしてしまって、みんなどこかへいってしまう。そして、いよいよ旅がほんとうにどうだったかを思いだそうとするときには、ただじぶんのした話のことを思いだすだけじゃないか。そういうことを、どうしてみんなは、わかってくれないんだ」


『ムーミン谷の仲間たち』より。


選んだのは六号路。水と共に歩く。ここは歩かないでいいところですが。

頂上に着くと、なにやら周りが騒がしい。


何だろうと群衆にまじって見ていたら、「ヒサイチフッコー」の言葉が曇天の空に響いた。

そろそろ一ヶ月。


何を思って見ているのか、わざわざ聞くことはしなかった。



頂上で、おにぎりを食べた。たかこがはりきって握ってくれた。
持参した海苔を絶賛されて驚いた。燃焼音の小さいトランギアのアルコールバーナーでちんたらとお湯を沸かした。やっぱり僕はスウェーデン生まれのこいつが好きだと改めて考えるに十分なだけの時間がかかった。早くしろよとせっつく人もいなかった。そろそろジェットボイルに手を伸ばす気も満々だけれどね。炎は見えないけれど、手をかざすと確かにあたたかい。僕ら人間の想いにどこか重なる、見えない炎。炎を見ると、どこか懐かしく、どこまでも落ち着く。太古の記憶が僕らの血にも通っているからだろう。
「宗教は?」と聞かれたら僕は「星の王子さま」教とでも答えようかな。
そう、燃やし続けていたいものがあるんだ。
ようやく沸いたお湯で、少し手抜きをしてドリップコーヒーを淹れた。あのチョコは間に合わなくて準備できなかったけれど、クッキーを食べた。かりんとうも食べた。

気付いたら、三時間が経過していた。着いた時には座る場所を見つけるのに苦労するほどだった蜘蛛の子は、サクラが散るより先に散っていった。


ありきたりな言葉しか出ないけれど、
今、この瞬間も、そう遠くないどこかでは、血が流れ、赤ちゃんが泣き、声が上がり、誰かが死んでいる、放射線だって降り続いていて、明日だって分からない。ウグイスが鳴いて、恋人たちがセックスをしても、亡くなった人は帰らないし、悲しみや葛藤は続く。

分かっているよ。

でもね、今この瞬間、ぼくのすぐそばに、“へいわ”があったよ。

分かってほしい。

一瞬だけれど、 たしかなじかん が、流れていたよ。



そんな愛おしい、なにものかを抱きしめる術を持たない僕はただ、いつも通りの僕でいることにしたんだ。

肌寒かったけれど、みんながなかなか腰を上げなかったのは、見えないそれでつながっていたからじゃないのかな。なんて思うことにしてみているよ。


春が上書きした高尾山。ありがとう。



僕のアトリエはJR普通電車内3~黒磯の「1988CAFE SHOZO」


なになに?!
超洒落オツ喫茶店が黒磯にある?

茂木の鈴木さん情報を頼りに、「黒磯」駅(栃木)で途中下車。

1988 CAFE SHOZO



途中、ただのCafeにしては大規模に思える専用パーキングをふたつほど通り過ぎた。普通のCafeではなさそうだ。さすがは、普通ではない茂木の鈴木さん。



歩いて15分ほどで到着。
一階はショップで、アース系商品やコーヒー豆等が置いてあり、二階がCafe。

階段を上がると‥





む、僕の大好きなロフトではありませんか。ここで決まりだぜ。


座って三秒。‥やばい、好きだ。閉店までいられる。こういう空間ってどうやってつくるんだろう。狙ってできるものなのかなあ。いいないいないいなあ。

さらに、この雰囲気は、ひとりは勿論、デートに使える。むしろひとりでは勿体ない。どう考えても使える。使いたい。使わせて。

好きな人を、連れて行きたい。


妄想しても目の前にかわいい子は現れないので気を取り直し、注文。
コーヒーとケーキを合わせたいなあと思いつつも、お腹がすいていた僕は、ピザトーストの誘惑に負けてしまった。
うむ、一風変わっていてうまい。大葉を使っているとかなんとか。

店員さんもみんな、Cafeっぽいのです。

周辺には面白いお店が何軒か。また行きたいお気に入りの場所が増えました。


家に帰り、HPを見てみると‥トップにはこんな文章が。ずきゅん。


ああ、なんてこった。二度と来ない今年の春、僕は恋ばかりしているではないか。恋しかしていないではないか。「なかなか」以上の楽しすぎる毎日を送っているではないか。



坂口安吾「堕落論」(何度目かだけれどやはりすごい好き)の「桜の森の満開の下」を読み終えたら、またサクラ。ひょえ。

恋人(「恋場」か)を増やしたい方は、是非。


2013年春、僕の青春(18きっぷ)は、恋に始まり恋に終わりましたとさ。


「僕のアトリエ~」シリーズはこれで完結ですが、恋は続きます。



2013年4月11日木曜日

僕のアトリエはJR普通電車内2~サクラ咲く仙台


カゼニモメゲズ、宇都宮→仙台。

「郡山」からダイヤが乱れ始め、「福島」で立ち往生かと思いきや、新幹線ヤマビコへの乗車に成功。いつの世も下剋上だ。何が起こるか分からない。希望を持って生きつづけよう。




映画の字幕翻訳家やバックパッカー、カヌーガイドには憧れたけれど、サラリーマンに憧れたことがない僕は、カヌーガイドになることはあってもサラリーマンになる努力はしたことがない。
やりたいと思ったら、僕は今すぐにでもサラリーマンになる。


朝、出勤中の慌ただしい街中を友人の母のママチャリでガシャガシャと走った。働きに出る人たちが街に彩りを与えていた。その景色がとても新鮮だった。僕には非日常的光景だったから。

(‥特別でも何でもない「移動」(「旅」と表現する方が分かりやすいかも。)が僕には「日常」であり、「非日常」、「特別」でもない。「非日常」なはずのものを「日常」に組み込んでいる僕自体は「非日常」?)


そんな中を僕は、日本キリスト教団東北教区被災地支援センター・エマオでスタッフをしている友人の見送りをしてから、スーツも着ずにふらついていた。


優越感なんてないし、かといって罪悪感なんてのも皆無。みんな自分でやっているのだから。

岡本太郎は「何だ、これは!」と言ったけれど、僕は問い続けよう。「僕は何だ?」

昨日の宇都宮。大先輩の言葉が頭に浮かんだ。
好きなこと、やりたいことをやってどうにか今までやってこれているのは、世の中を回しているたくさんの人たちがいるおかげで、みんながみんな好きなことをやっていたらこの世界は回らない。

本流に逆行して生かされている僕には、その流れが汚かろうが臭かろうがどうにか流れてくれていないと困るのだ。水枯れした川を逆行することは不可能だ。「共生」。妙な話ではあるが。

依存度の高い彼女に依存されることに辟易しつつも、いつしか依存されることに依存している自分がいることに気付いたときと同じ、何とも言えぬ複雑な感覚。



「否定」も「肯定」も、大差ない。表裏一体で、紙一重ではない。切っても切れない家族のようなものでは?


捉え方次第でしかないが、流れに乗りながらもその水を「汚い!」と言うことが、大方の「市民運動」かもしれない。

水が汚い、ならば、どうするか。あなたは、僕は、どうしたいか。
3.11は、多くの人に水の汚さを見せつけた。
見てしまった、知ってしまった生物・ヒトは何をすべきなのか。

野口健曰く、「知ることは背負うこと」だ。
大きな荷物を若いうちに背負うことになったことに、何か大きな意味があるような気がするんだ。ないはずがないと思う。
本当はもっと他に背負いたいものだってあるのだけれどね。

まあ、その流れ自体がちぐはぐなところを流れているという点は否めないけれど。それは今の趣旨ではないので、ね。






サクラはまだだと話をしていたら目の前に満開のサクラ現る。
仙台も春でした。

今年は本当に春ばかり、ごちそうさまです。


まだ続く‥はず。





どうしようもない25歳

何にも変わらない僕らがいた。

どうしようもない今日が、いつか素晴らしい昨日になるその日まで、僕はこの世に執着していたい。

お粗末様です。

出会ってくれて、ありがとうございます。