2013年1月18日金曜日

「茶を飲む国と、コーヒーを飲む国」


年が明けてから、一気に空気が冷たくなった。


そのおかげで、空がきれいだ。



今日も自転車で「to do list」をこなす。


結局、文房具は「世界堂」に限る。


昨日まで絶望的だったのに、たった一本の電話で、ほんの数分のやりとりで、世界の色が変わるのは、一体どういうことだろう。


「深夜特急」いよいよラスト、ロンドンへ向かいます。


先ほど読んだ「五巻」(今日のタイトルはここから拝借)はしっかりアマゾンでポチッとしましたよ~。





2013年1月17日木曜日

『深夜特急4 シルクロード』


★ユーラシア大陸横断の旅もそろそろ半分以上。

旅の終わりをうっすらと意識し始めた26歳の沢木耕太郎。


以下本文より‥

長く旅を続けているうちにすべてのことが曖昧になってきてしまうのだ。黒か白か、善か悪かがわからなくなってくる。何かはっきりしたことを言える自信がなくなってくる。憎悪や嫌悪すら希薄になってくる。



★日中、三浦豪太さんを見かけた。
三浦雄一郎さん(本に感化された時期がある)もいるようだったが、ワンアクションを起こせなかった。起こせなかったというか、起こさなかった。
何もできなかったのに、無念とも思っていない自分に危機感が募る。『深夜特急』に同じく、長旅で感覚が麻痺しているようだ。リンクしないでいいってのに。旅といってもどこからが旅でどこまでが旅かも知れない。終わらせる気もないのかもしれない。
何にせよ、人への興味を失った僕に残るものは何もない。危うすぎる。
場所を変えないと即廃人だ。場所さえ変えればどうにかなるだけマシか。

世間知らずな僕は、アポなしで会社に伺うのは迷惑ということを学んだ。直接、顔を合わせることを重視することが、いつでも正解ではないようだ。

旅立ちに備えて、カブのオイル交換をした。危うくエンジンが焼き付く寸前だった。

★調子が出ないので、詩というか、言葉遊びというか、まあ、僕は「ヘンな唄」と表現しているんだけれど、そんなんを一つ、初めてここで晒します。
四年前ふられた彼女に、一年ぶりくらいに会った後につくった唄。フィクションとノンフィクション、夢と現実の狭間よりお届け。

2012.12.10【なされるがまんま】

さりげなく、打算的


あっという間に近づいて、
気ままに離れた

寄せては返す波

引力を、つなぎとめる術なんか知らないよ

笑って、君は自由だ

立ちすくみ続けた僕は、なんて愚かだろう

寄せるなよ、波

返すなよ、あほ

寄せたなら、返すなよ

返るなら、寄せるなよ


当たり前だと信じたものも、いつ離れるかしれない

Caravan「一瞬の重なり合いが永遠ということを知った」

確かなことなんてなかったのに、いつしか始まっていた勘違い

馴れてはいけない慣れだった

今さら、寄せられても困るけれど、寄る気もないはずだけど、
実のところ、未だに、波長を簡単に乱し、高鳴る馬鹿がいる

ああ、お月さん、お月さん
愚かな僕を照らさないで


2013年1月16日水曜日

青山ブックセンター、ワタリウム美術館

僕はさして、体力があるでも力が強いでもない。
それでも、夏の間カヌーを毎日漕いで、重労働であるカヌー運搬を一日に何回もこなす。

湖と太陽が、僕の潜在能力を引き出していたのだと思う。身体は正直だ。
僕は実に感じやすく、実に脆い。


ベストコンディション時と比べて、今の自分のしょぼさったら。
比べるものが増えるほど、尽きぬ悩み。

身体が不調だと、心も引っ張られてしまう。身体と心、月と潮の満ち引き。

ここに長居してはいけないというmessageなんだろう。
もう少し、もう少し、やっておきたいことがあるんだが。


不気味だけれど、馴染み深い黒い影を背後に感じて、僕はまっしろい世界へ飛び出した。

新宿の田舎にも愛着のわかない建物が乱立していく。五年後、ここは静かだろうか。
五年後、果たして僕は生かされているだろうか、生かされているならば僕はどこで何をするだろうか。



雪はだいぶ溶けていた。


ファミリーマートだと思ったら、整骨院だった。


昼飯は、ちょい前から気になっていた塩つけ麺「灯花」@四谷三丁目。


カウンターの後ろは人っ子一人通ることのできない狭さ。大荷物ではしんどいね。お相撲さんも残念だね。

店内にはちょうど、ジブリジャズ。‥ここ、いい店ではないか。


つけ麺ではなく、ラーメン。700円。とんこつみたいな細麺。
ほどけ絡まる極薄チャーシュー愛好家としては、チャーシューには満足できなかったが、スープはいい感じ。
塩味は、シンプルゆえの奥深さがある。カヌーと一緒。

食べ終わると、大好きな「カントリー・ロード」が流れてきたので、気をよくしてチャーシュー丼100円を注文。
スープに浸っていて、まるでねこまんま的不思議丼でした。
次回はつけ麺を試してみます。


歩く、歩き、そして歩く。


「頭上雪が落ちます 注意して下さい」?

ここはALWAYS三丁目の夕日的庶民派住宅街だな。なされるがまま、上を見る。


ほんまや。昭和の人は嘘つかない。



神宮外苑へ向かう。小学生のときから見慣れているこの景色が僕はたまらなく好きだ。

線路や、橋、常識に当たり前。
何かを越えたり渡るとき、どうして胸は高鳴るのだろう。


神宮内で、車が雪で動けなくなっていた。
普段ならすぐ声を掛けるのに、今日は自分の便意を優先してしまった。生理現象だから致し方ない気もするが、いろいろ、大切なアンテナが鈍ってきているなあ。自覚症状があるだけマシ、か。

透明な膜が、うっすらと。

歩いている間、何を考えていたのか思い出そうとしているが、全く思い出せない。
何も考えたくないから、歩いていたのか。

青山ブックセンターに行ったのは、
新政府書店ボアンカレ坂口恭平さんと天才4人による「生き残るための技術」選書フェアで、石川直樹さんが何を選んでいるかを知りたかったから。
好きな人たちはすでにつながっていたのだ。

書く人は、読む人だ。石川さん推薦本は、どれも読んだことのない本だった。

中学生のとき、石川直樹さんの存在を教えてくれたのは、父だったことをぼんやり思い出した。

で、またワタリウム美術館へ。
森本千絵さんの作品をゆっくり見た。遊び心のつまった展示。全部を見ることはできなかった。また行かないと。
素敵すぎる。表現は、するものではなく、せずにはいられないもの。表現は、喜び。
難しいことは何もなく、解き放つことができるか否か。いや、解き放ちたいか否か、か?


で、初回パスポート(チケット)で何度でも入場可能な坂口さんの作品を見た。

スクラップされた記事、全てに目を通した。

「社会をあまり変えようとするんじゃなく、視点を増やせ、視点を広げろってことなんです。」
(メンズノンノ)

今、坂口さんは鬱状態に入っていて、青山界隈で行われるはずだったイベントが続々と中止になっている。
皆勤賞が当たり前とされている世の中だけれど、無理をする必要なんてないと僕は思う。
生物、ヒト。自然なのはどっちだろうか。


弱さをさらけ出す坂口さん。すべてを晒している振りをする僕。強いのは、僕ではなく坂口さんだ。

この前の七尾旅人LIVEからずっと、これからの姿勢を試されている気がしているんだ。



2013年1月15日火曜日

まっしろい街とNikonの新相棒


朝の新宿。


明るいね。
‥いつもより写真がバリッと決まっている。


実は、昨日ごりちゃんからNikonの一眼を安~く譲り受けたんだ。



言い値の倍を払ったのは、新政府総理・坂口恭平さんの影響であることに、帰りの電車ではたと気が付き、自分がかわいらしくて笑ってしまった。

何のことはない。坂口さんが熊本で家を借りるときに、「15000円でいいよ」と言われたところを、「倍の30000円払って、好きにいじらせてもらうこととした」というエピソードがあったのだ。

僕は好きになったら一直線なのだ。



で、カメラの話に戻ると‥、
写真の良し悪しなんて分からないままに、毎日デジカメで写真を撮っていた夏。
撮り続けていくうちに、自分がどんな写真が好きで、何を撮りたいかが明確になってきた。


分からないなりに分かっていることは、誤魔化せないのがいいな、と。
撮った写真を見れば、その人がおおよそ分かってしまうから面白い。

絵葉書みたいな美しい写真に僕は惹かれない。器用な人にも、そそられない。


写真も、文章と同じだ。
言葉と、それを生み出すヒトが表裏一体であるように。

いかに書くかは、いかに生きるか。
いかに撮るかも、いかに生きるか、なんだなって。

そうなると俄然、興味がわくというもので。

が、しかし、どんなカメラがいいのかも分からず、ご存知の通りいつでもお金には事欠いているこの僕だ。
カメラをすぐに手に入れることはできないと思っていたが、たまたま、ひょんなことから手元にコイツが転がりこんできたのも何かの「縁」ではなかろうか。

とりあえず、実践あるのみ。

ごりちゃんの形見ですし、‥ってまだまだ健在か!

撮って撮って撮りまくろうと思います。


かわいがってあげるからねー!

ごりちゃん、ありがとう。



2013年1月14日月曜日

愉快な初雪茂原day(千葉)


どうやら天気が荒れそうだが、気にせず電車で昼前に、千葉県の茂原sta.着。
茂原は千葉の真ん中に位置する。


本日のガイド、「ごりちゃん」と早速、昼飯。
連れて行かれたのは、安い「中国料理 鉄人」

僕は580円の「唐揚げ定食」をチョイス。


どどん。握りこぶし大のサイズが六個。さらには、何故だかフライドポテトまで。


「茂」木といい「茂」原といい、「茂=豪快中華」の公式が存在するのだろうか。


‥参りました。持ち帰りの術使用。



食後のコーヒーには、ガムシロップとシュガースティックがついてきた。

笑いながら尋ねてみると、どうやら店のこだわりとかいうことではなく、ただのミステイクということで。
店員さんのつれない感じが、また、たまらないいね。

量の多すぎる定食、外へ通ずる秘密のドアが普通に開いたり、‥
僕らがニタニタするに十分すぎるエッセンスがこのお店には詰まっていました。





その後は雨風雪の中、スタッドレスで海岸線drive。

サーファーたちには、雪も関係ないようで、羨ましい。ウェットスーツ、欲しいなあ。




奈良の大台ケ原(武四郎好き必見ポイント)から、千葉に戻ったごりちゃん。
外に出て、内(自分、地元、‥)を知った彼は、生まれ育った場所で春から新生活に突入する。

アウトドア・自然業界の深刻な課題は冬だ。


「しばけん」から頂いた情報「農ライフタウン」現場に、さくっと行ってみたが誰もいなかった。
裏手には「鴨川富士」。静かなところだ。




寒い寒いと言いつつもテンション高めな僕ら。配置したカメラが風で動く動く。

晴れている日とは趣の違う、今日一日に付きまとう妙な高揚感は何だろう。

馬鹿な自分たちが愛おしいんだろうね。


天気の良い千葉で、このような天気になることは、本当に珍しいらしい。


大台ケ原で雪道運転経験を積んだごりちゃんに、この程度の雪はちょろいのだ。

すべてのことに意味がある。

ヒトは、点ではなく線を生きるから。


駅前で飲んだ、抹茶ソイラテに、真実の愛を見出した。




帰りは、外房線が信号機の異常によりちょこちょこ止まって寒かったけれど、その後は問題なく最寄駅まで帰り着いた。

今日の電車移動で「深夜特急3」を読み終えた。どんどん面白くなっていくので読書スピードが上がる上がる。
帰りの大半は暇を持て余し目をつぶっていた。いつの間にやら僕は、武四郎が夢見た天竺へtripしていた。

天竺から新宿に戻ると、雪は千葉より都内の方が多く積もっていた。



愉快な一日を振り返りながら、誰の足跡もついていない、まっさらなところを探して歩いた。


軟弱都会人たちだから、明日はけが人が増えるんだろうな。
朝は気を付けて下さいね。


2013年1月13日日曜日

「レ・ミゼラブル」よりも‥


周りがいいと絶賛しまくっているし、ミュージカルは大好物なので、「レ・ミゼラブル」を観た。

日曜日の映画館。fuck人ごみ人間にはダメージ大。みんな、電車乗って来ているんだよね?朝から頑張るなあ。

三時間ほどの大作なので、おしっこの近い人は、レンタルが始まるまで我慢した方がいい。
暗闇で足元もよく見えていない中、何度も席に立つ年配の方々が大変そうだった。


ウルバリン、強いだけではなくて歌もうまいんだね。

マンマ・ミーアの女の子も、変わらずかわいすぎた。


とても良かったけれど、思ったほどではなかった。

どこかでくだらないと思う自分がいて。

こういうものを作れるのだから、現実世界のためになることを、いくらでもできる強大な力を持つ人はいるわけで。なんだよな、と。
ままごとというか、ごまかしというか、まやかしというか。付き合ってられないぜ、というか。

ま、映画は映画でしかないわけで、そこに期待をするのも違うのだけれど、この虚しさはなんだろう。

中学三年生のとき、現実世界がつまらなすぎて、周りの人たちが皆馬鹿にしか見えなくて、受験というシステムに価値を見いだせなくて、映画の世界で夢を見ていた。

現実世界は映画よりもっとずっとどぎつい。

またいつか、思いっきり映画の世界に浸る日が来ることを願うばかり。




その後、長い付き合いの友人と一年ぶりに再会。


一年前、まあいろいろあり、ぐさっとくるダメ出しをされて、それが的を得ていたこともあり、何となく自然とお互いに距離を置きだした。
多いときは週一ペースで顔を合わせていたのに、極端かな今日までのおよそ一年、お互いがどこで何をしているのか全く分からなくなった。




少し考えてから、年末。例年通り、年賀状を書くことにした。

年明け。例年通り、手書きの年賀状が返ってきた。


年をまたぐ年賀状のおかげで、僕らはまた、一緒に笑いあった。

年賀状様様である。


話の展開と一切関係なく、突然「あのときはごめんね」と、謝られ、僕も即座に謝った。


「会えてよかった。」と言われて、僕も心から同意した。
先手先手を今日は取られてばかりだった。


いつ死ぬかわからない。いつ途切れるかわからない。自分がどれだけ思ったところで、確かなことなんて何もない。
だから、大切にしようと思うのだ。大切にしてもしなくても、なくなるときはあっという間。
どうせなくなるものだとしても、だからこそ、なおさら、いっとう大切にしたいのだ。

‥ひねくれているだろうか。

何事も有限であることを、僕は知っている。



‥壊れたということは、つまり、裏返せば、つくりあげることができた、ということで、
例えば作品が完成しなければ、それが壊れる心配も可能性もないわけだし、

人との関係性が壊れるまでいったのは、それまでが確かであったという証拠なのかもしれない。

ならば、別れや行き違いはある意味では歓迎すべきことでもあるのか?

壊れるリスクを恐れて上っ面だけのいいとこ取りなんかも御免だ。

また、最も肝心なことは、作品はどうしたって一人ではつくりだせないという点にある。


あえて苦しみたくなんかないけれど、そんなこんなを今ふと思った。

「破壊」と「再生」同義語説、突如誕生。



出会ってくれてありがとう。


2013年1月12日土曜日

文芸社と、映画「モバイルハウスのつくりかた」


★午前。
近所の文芸社で毎月行われている「出版相談会」へ行った。

自分は出版の世界を何も知らないことを知った。

どうして本を出したいのか。どうして書きたいのか。何のために、誰のために。


改めて大切なことを自らに問い直すきっかけをいただいた。信頼できる方に出会った。


とりあえず、動くこと。とりあえず、動き続けること。熱は足の裏でしか測れない。


★午後。
渋谷、UPLINKで1/18日まで再上映されることになった、坂口恭平のドキュメンタリー映画を観た。
新政府国民割で1300円。パスポート=ワタリウム美術館入場券がいろいろなところで効力を発揮する仕組み。

初日の今日は上映後に監督の本田孝義さんによる舞台挨拶があった。
昨夜の七尾旅人ライブにもいたとのことで、勝手に親近感。


「ドキュメンタリーは特別な才能とかではなく、当たり前のコミュニケーションがとれて、忍耐強さがあれば、誰でもできる」ものらしい。


多摩川のロビンソンクルーソーと、北国の「何でも屋」的タフカヌーガイドたちが重なった。

初めての北海道生活で、先輩ガイドたちの「欲しいものがあるなら作ればいい」という単純な思考&行動に、僕の“当たり前”は気持ちよくぶち壊された。

ずっと、「欲しいものがあるなら、買えばいい。買うためのお金を稼げばいい」、
こういう物質文明的選択ありき思考が体中に染みついていたことに二十年も生きて初めて気付かされた。
それから、僕は「つくる」という言葉が好きになった。

つくる。人間はつくらずに生きることなどできない。人付き合い。音楽。居場所。文章。仕事。生活。‥


クモは自分で家をつくる。壊れても何度でもつくり直す。僕はクモを尊敬している。
クモよりはるかに大きい僕らはどうだ?自分の住む家をつくったことがないって、なんだかおかしくないか?


映画を観ていたら、そんなあれこれを思い出しました。