2016年8月9日火曜日

ニンニク抜きの餃子の唄


カヌーのない暮らし。

コーヒーのないカフェ。

君といないぼく。

ニンニク抜きの餃子。

働き者・たかこのいない夏。

水のない湖。

口数の少ないおじさん。

手づくりケーキのないSotoCafe。

おはようと抱きなおさない朝。

おかえりなさいの聞こえない夜。

尻尾を振らない犬。

こだわりのない、口うるさくない、ぼく。

生きている実感を得られない暮らし。



支笏湖にいないぼくら。






2016年8月7日日曜日

立秋の会いたかった


どるふぃん。


(photo by たんたん)

会って思った。

会いたかったんだ、って。寂しかったんだ。悲しかったんだ。オレ。
認めてしまっても仕方がないから否定してきたけれど。

あーだこーだ、結局、どうでもよくなんかないんだ。

会えば全部分かってしまう。
会わなきゃ全く分からないことが全部。大事なことは全部、電波で飛ばせない。ブログなんか、「なんか」くらいだとぼくは思いながら書いている。

だから、この文章が、てやんdayがぼくのすべてだと思わないでいただきたい。むしろ全部、疑ってかかってほしい。それくらいがちょうど良い。間違っても分かった気になんかならないでほしい。
「読んでいる」って言われるのは嬉しいけれど、ひとり講演会より生身での対話をこそぼくはしたいし、大事にしているし、していく。
ここにぼくは三ミリくらいしか存在しない。嘘はないけれど、言葉は心をいつだって越えない。言葉が追いつくほど貧しい心なんかであるはずがない。言葉は不自由だが心は自由なのだから。

言葉にした瞬間、心は色を変える。心はお高い。ぼくは安売りはしない。

人と人との間にあるものは、心は、目を合わせるところからしかはじまらない。
ぼくは生ものにしか価値を見出さないし、興味がない。

人は、分かっていたい人のそばにいく。


生きててくれてありがとう。

目を逸らさないでくれてありがとう。


ぼくはずっと、どるふぃんに会いたかったんだ。

2016年8月6日土曜日

広島の日

平和の日は久々の晴れ凪。



今日も忙しかったね。疲れたから、ちょっとカヌー漕ぎに行かない?


 明日も思いっきり働けるように。


ぽつり。「うまくなりたい。」

なくても誰も死なないカヌーって、一体何なんだろう。
なくても誰も死なないぼくらって一体。

まあいいや。何でもいいや。ただ、「今」があることを素直に喜ぼう。


「パドルトーク」
お酒飲まなくても、カヌーがあれば。



「生きててよかった」、そんな夕方は何度あってもいい。



さ、おうちに帰ろう。

2016年8月5日金曜日

a long long day

早朝から夕方まで。
頭をフル回転、身体は勿論使い倒す。


しんどいけれど、疲れたけれど、この「やったった!」感がビールの味を決める。

冬も夏も、思えばいつも必死だ。
苦しいときほど、試される。
オレ、もっとやれるだろ?こんなもんじゃないだろ?

手を抜こうとすればいくらでもできる。
けれど、ぼくは誰かに強要されたのでなく、「これだ」と思い、ここにいる。やらされている感満々の年もあったけれど。
やらされていることはひとつだってない。

働く喜びを堪能し尽くしたい。

働き方は、その人の思考を体現する。
誰かに任せるのでなく、長いモノに巻かれるでもなく、頭を下げることもせず、
小さいけれど、たしかな自分たちの手で掴んでいきたいものがある。

2016年8月3日水曜日

透き通るような美人


午前、今シーズン初泳ぎ。
泳ぎたいけれどおっかなくてたまらない子供たちと手をつないで、せーの。
このあと二回ツアーがあるとか、理性で動くのが一番おっかない。今、お客さんが求めていることは何か。感じたなら、動けるか。


(本気の冬季カフェごっこは、当たり前になりすぎていた好きなことで稼ぐことの意味や価値を教えてくれた。踏ん張るうちに、いつしか、ひとり、贅沢三昧のクソガキは消え失せた。背負う意味、背負わせてくれた事実、信頼。やりがいや、喜び、苦しみ。どれもずっと、目をそらしてきたけれど、実は一番欲しかったものであること。生きているという確かな手応え。)

ツアー時に距離の測り方、詰め方に悩んだことはない。
日常では攻めこみすぎて痛い目に遭うことばかりだが。

「人たらし」と先日、透き通るような美人に言われて、妙に納得してしまった。男でも女でもなく、人。人たらしか、と。

必要な引き出しをここぞなタイミングで。
出し惜しみしたら、何のために生きるのか見失ってしまう。

午前はちなみに、松澤夫妻と出陣した。たかこ乳母がいる間だけ。ガイドとしてのなおさんに会えるのは、つまり、なっまら貴重なんやでー。
まあ、一番嬉しいのはぼくかもしれない。何のストレスも感じずに動ける。ぼく自体がストレスかもしれない。…ヒィー!

今まで過ごした夏の中で、一番温い水。

夏休み真っ盛り。

毎日よく働き、よく笑い、アホみたいに眠い。


暑死寸前


朝起きたら暑くなりそうだった。太陽を浴びなきゃ。慌てて家を飛び出す。しかし、蒸し暑さは、この世から滅亡しても、誰も困らないように思う。こんなに苦しい夏、久々。ツラすぎる。

「おいしい」との出会いは、「かわいい」に匹敵するほどの幸せでこの胸に打ち寄せる。何度も何度も。
「幸福」は、とあるパン屋のパンを噛み締めた瞬間、口いっぱい、身体中に満ちていった。

すべての出会いのタイミングはいつも絶妙。これ以上ないタイミングで欲する物や事、人に出会うようにぼくの人生はプログラミングされているのだろうか。
それとも、念じる心が強烈すぎて、その通りに事が運ぶのか。夢のなかで思いこめたらそれはいつも現実となる。

時が満ちた。

おいしい、楽しい、大好き。

この三つ。三種の神器。現場では、詩的なコメントなんざくそテレビにやらせりゃいい。
ぼくはこの言葉だけ持ち歩く。こねくり回すのは家に帰ってから。


2008年。洞爺湖サミット。篤姫。
初恋は支笏子ではなく、洞爺子。
短いながらにこの国で積み重ねたものが、なくはない。あの頃出会った人と今も変わらず笑っている。洞爺の暮らしがなければ、今は成り立たない。

どこまでもやさしい人。洞爺子。すぐに甘えてしまうぼくはあなたのそばでは駄目になる。
おっかない代わりに超絶美人の支笏がピタッとハマるんだよなあ。





2016年8月1日月曜日

水の上なら、無敵


朝6時。家を出る。6時30。店に着く。ウルフルズが最近響く。一番好きなのは、「たしかなこと」。
みんなが8時に来る前に済ませてしまいたい作業を片付ける。17時半には既に12時間稼働、電池切れ。遅くとも21時前には夢の国。
ひたすら、毎日、これを繰り返している。

久しぶりに一人でソトカフェ。
なおきさんとなおさんが生みの親。

このツアーがなければ今のぼくはここにいない。カヌーだけではぼくは多分続かなかった。そこにカフェが、というか、いつも、コーヒーがあった。架空の店を毎日出せた。

水の上に出さえすれば、こわいものはそうない。


水の上に出さえすれば、いつでも自分に自惚れる。
オレ、やっぱ、すげー。そう思わない日はそうそうない。陸がおっかなすぎる反動か、水の上は酸素濃度が異常に高く、ぼくは酸素過多ですぐに酔っ払う。

それはきっと、間違いなく、独りよがりで味わう快感の域を超えているはずで。
一緒に過ごす人たちが気持ちよくならなければ、ぼくは一人で酔えない。

そーして、この頃和気あいあいかのあではさまざまな部活ができている。
筋トレ部。ランニング部。仲が良いのはいいことだ。

ぼくは昔からずっと、「みんなと一緒」ということに拒否反応が出てしまう。寂しいのは嫌だが、人と足並みを合わせるのはもっともっと嫌だ。というか、無理、不可能。吐いちゃう。集団行動ができない。人付き合いも一対一が最高だし、最強。

だからといって強要もされないあたり、さすが個の集まり、かのあ。非常にありがたい。
走るのも筋トレも、ひとりでできることはひとりで好きなようにやりたい。協調性のなさが売りだ。右を見ろと言われたらぼくは空を見る。

さ、明日は筋トレ部三人がいるよ。