2016年6月30日木曜日

山に登るのは告白したいがためなんだ

朝、神々しい光。どんど抜けていく雲。恋焦がれ続けた山とお近づきになるためには、ただ、ひたすら一歩ずつ歩を進めるより他に手段はない。

「好きな人には好きと言いたい」と唄っているのはウルフルズ。
仲良くなりたい山、川、湖がある。
仲良くなりたい人にはさてどうしたらいいのかさっぱりよく分からない。山なら歩けばいい。川や湖なら漕げばいい。自然の中は、至極シンプルなのが良い。


6月28日。
4時 利尻北麓野営場発。
8時 利尻富士山頂着。
12時 利尻北麓野営場着。

休憩や山頂フィーバーしつつ、トータル8時間ほど歩き続けた。

海抜0mから1721mへ。

今までよりもっとずっと、この山が好きだ。

2016年6月29日水曜日

become「旅する木」


すまん支笏。すまん千歳川。ほんの少し、ゆっくり寝かせていた本気の浮気心を許してくれよ。


何でも、誰でもない自分に帰る。久しぶり!解放、開放!何でもあり!

ここでは六月一番のお天気とのこと。
わはは、最高!
荷物重すぎて修行。だけど、初心忘れべからず。
はじまりはいつも身体ひとつの旅。どこまでも歩けた。



2016年6月28日火曜日

苦しすぎて、でも喜びをしかと噛み締めて


2013年に蒔かれた種。期は熟した。


素晴らしきかな、この世界。
他には何もいらない。眼前に広がるこの色をお土産に持ち帰れたなら。

この国はやはり凄まじい。ぼくは北国が好きだ。

人が遊びまくりに来るのを優しい気持ちで迎えるためには、ぼく自身が人並み以上に遊べていないといけない。鵡川貯金は既に尽きた。
ホストとしての質を高めるためにはビジターとしての感動を浴びないといけない。だから、これもぼくには仕事の一環。楽しむということをさらに突き詰めないといけない。
山に抱かれ既に大満足。かのあに行きたい。
しかし、勧められた場所へさらに向かうことにする。

美しさこそ、正義。


2016年6月27日月曜日

ありえってぃ


久しぶりに車やカヌーを手離してみると、残ったのは…ありのままの~
かつて意味嫌っていた車。かつて重さにつぶされたカヌー。
どちらも暮らしのために掴んだけれど。本当なら。本来、。

ヒリヒリ。ガソリンバーナーよりけたたましく生きている音が苦しげにする。
ひとりぼっちは大事だ。ひとりになれば、誰の声が聞きたいか、すぐに分かる。

チームかのあ、というか、ふっくん。野郎共をたのんます。

2016年6月25日土曜日

大雨の湖水まつり2016


夜、花火をふっくんと眺めていたら、氷濤を思い出した。
記憶は遠く、あの激闘の日々が非常に懐かしい気がした。たった、四ヶ月前のことなのに。 季節はめぐれど変わらない顔ぶれ。        
夏に冬のことを思っても、寒くないから実感が持てない。

長いこと、支笏にいたような気がした。

2016年6月24日金曜日

昭和物産の豚丼


いつも匂いに食欲を刺激され撮影ができない、幻の豚丼が支笏湖温泉街の一角にある。炭火で焼いた豚肉。う、うんまい。たまの贅沢。
水の謌さんの隣。ご賞味あれ。

15℃。水温が気温にようやっと追いついて魚が群れだす。ぼくらは素足になる。なんでもない一瞬に高揚。夏の予感。

2016年6月23日木曜日

絶滅危惧種、カヌーガイド


夏の店を回すために必要なスキルは、効率、テンポ、スピード、エネルギーの節約、時短であり、日々のツアーでカヌーガイドに必要なスキルとは真逆なものだらけである。

ふっちゃんは右耳でぼくの話を聞き、左耳でだいごろうの話を聞く。なんだかもう聖徳太子に見えてきた。

久しぶりにツアーに出れると、素直に嬉しく、仕事終わりに漕がなくても大丈夫だから時間節約になるし、苦しい顔もしないで済む。いいことづくめだ。結果、いつもより少しやり過ぎる。

ぼくらは、カヌーを身体の一部とし、お客さんがカヌーを操れるようにサポートをしながら、自然の中でのリスクマネージメントを脳内で構築しつつ、その時々、一度限りの空間をプロデュースする。不思議な仕事だ。必要な能力は多岐にわたる。しかし、担当ガイドによってツアーの色は全く異なる。
「喋り」に資格や認定試験はないし、見えないし形にも残らない。
言葉の操り方にも正解はない。ただ、それぞれの思考や作法や癖なり技がある。

ぼくはこの仕事で夏の間、暮らしてきた。生かされてきた。存在自体は恥だが、自分の暮らしには一ミリだって恥の欠片もない。悩み苦しみ笑い泣きながら積み重ねてきた自負がある。自惚れない程度のつもりの自信だってある。遊びだと誤解を受けることが多いが、れっきとした仕事であると、今なら怯むことなく言える。

安売りはしない。ぼくらはお高い。
さらにお高くなるために、思いっきり楽しいことをまずは自分が享受しないといけない。楽しむことを追求することが楽しみを提供する側には常について回る課題。もっとぶっ飛んだ空間をつくってやりたい。まだまだ、つくりたい世界はどこまでも拡がり、深まりそうだ。

正解はない。
ただ、ひたすら、毎日毎日共有して、どんなコンディションだろうとぶれないかのあツアーの足並みを揃え、質を整えていく。

どこまでがかのあイズムで、どこからが個人的見解か。
今まではなおきさんのツアーがかのあのツアーで、ぼくのツアーがかのあのツアーという感があり、実際そうだった。
いちいち言葉にして話し合わなくても、一番大事なとこ、共通見解が無意識下で一緒な気がしていたことを、あえて言葉にしてみていくとその情報量がいかに膨大であったことにようやっと気付かされている六年目。まっさらなはずもないわな。それなりに積み重ねたものもなくはない。よりよくなるために捨て去るものもある。
まあ、なんつーか、ぼくが一番【かのあ】好きなのかもしれない。
オタクがアイドルに求める理想は常に高い。