2016年2月29日月曜日

パッタイパスポート


パッタイを食べれば、あのおにーちゃんの屋台にひとっ飛び。


あいつとさまよい歩いたのは、何年前だろう。

味覚は旅だ。

あの頃のぼくらはいない。立ち止まれないのだ、いきるのだ。

2016年2月28日日曜日

「食の職」新宿ベルク 迫川尚子著


・料理はあらゆる「表現」のなかでいちばん複製がむずかしく、しかもあとに残らない、その場限りのもの



・わたしたちはひとりひとり世界がちがって見える。それは不思議なことだ。にもかかわらず、わたしたちはおたがいに話をし、理解し合う。それはもっと不思議なことだ、と。

by 迫川副店長。

新宿ベルク本第二弾。口語訳風で、直接目の前で語られているよう。

「ある程度の勢いとゆらぎがないと。」等等、副店長の言葉使いのセンスたるや!
固定化しつつあった言葉使い。もっと遊ばないと勿体ない。
書くことに負けじと食べること、意識していこ。
まだまだ、料理については書けないから、つまり、書けるようになるわけだ。できないことは、やったことがないだけのこと。やりなさいということだろう。できないうちが華、四苦八苦するのが面白い。最初はカヌーすら担げず、お客さんについていくのがやっとだった。
しかし、今や通常ツアーでガムシャラになることは稀。予想を超える事態はそう起きなくなった。起きる前に防げるようになったともいうが、振り回され足りなくて、違うものに振り回されることで誤魔化しつつ、はて一体どうしたものかというときに、新たなフィールド、店を任せてもらいまして。

・それにしても人間って、勝手で矛盾した生き物です。
自分のイメージに反したことが起これば戸惑い、パニクります。一方で、イメージ通りにことが進むと退屈で死にそうになる。食に対してもそうです。


味な世界を信頼すべき舌で遊ぶ迫川副店長の世界に近づいてみたいもんだ。

料理って、超文化的でありながら最もクリエイティブな世界なんだね。飽きないはずだ。商い商い。
大量生産、効率重視。どの世界もあたたかみがなくなり、それが今や当たり前。安心して食べられる店は絶滅危惧種。

なんとなく、一冬やりがてら、レシピとか数字ってアテにならないやんけと一人でツッコんでいたのだけれど、その感覚はやっぱり信じていいみたいで。
料理は実際的なだけでなくオノマトペな抽象世界も絡んでいる。
だから面白いのだな、と。
一番それを教えてくれているのが、コーヒー。

すっかりベルク熱にやられている。
絶品ハムやらベーコンやらパンやらが脳内にこびりついて離れず、昨日は自家製ベーコンと大魔人手製ジャガイモとやさしいタマネギをロッジのスキレットでジャーマンポテトに変身させた。

行ったことないのに。表紙の店構え写真には見覚えがあってね。
都内は自転車でばかり移動していたから駅ナカには疎いおかげで、今まで立ち寄らなかったお店。
行ったことのないお店、行くまで死んでたまるかと思えるお店があるって幸せ。味を想像するだけで楽しくなってしまう。

出会うきっかけが本だった、生まれた街にある店だったというのも、たまたまだとは思えないのでした。

いつもありがとう、言葉。カヌーに導いてくれたのも言葉、はじまりはいつも一冊の本から。


2016年2月27日土曜日

ハイロニュース


生命の危機。原発。
放射能は、最も信頼すべき己の五感でも計測不能。超厄介。猪八戒。

貴重な時間を使って活動を続けてくれている方々に感謝。
いつも最新情報、ありがとうございます。


気になる方は「泊原発の廃炉を目指す会」へお問い合わせくださいね。


これだけはぼく断言しますよ。
命より大事なものはありません。まずは、命。お金じゃないんだよ。
狂気の世界。あほか、世界。金じゃないんだよ。何をいつまで見誤る。オレの暮らしを見ろ、みんな逞しく笑っている。

2016年2月26日金曜日

『新宿駅最後の小さなお店ベルク』2井野朋也著


詩は言葉です。言葉を使って人との関係や自分との関係、世界との関係を問い直す。言葉はただの道具ではありません。それ自体が生き物のようなところがあります。言葉にすればするほど、ウソになる、という経験は誰にでもあるでしょう。言葉に裏切られたり、振り回されたりして、言葉を使っているのか使われているのかわからなくなることがある。言葉と格闘するしかない。その壮絶な格闘現場が、詩なんですね、きっと。

by 井野朋也店長。


ずきゅんわーどだらけで鉛筆の線だらけの一冊となりました。

陸の上での、屋根があるところでの接客のあり方、こだわり方、姿勢、ビジネスではなくライフワークということ、生き方、パートナーとの対等な関係、長いものに巻かれない、心を売らずに暮らす心意気…

ただカヌーを漕ぎ続けてきただけのド素人カフェ店長にとって、同郷の先人の言葉はすべてが肥やし。
どうせやるなら本気でないと。もっと楽しく。もっとおいしく。
珍しく、今すぐ新宿に飛びたい気持ちムンムンです。

今度は副店長本に手を出します。
いい時代ですね、著者とすかさずつながれるなんて。
言葉はぼくら人間よりずっと身軽で羨ましい。

2016年2月24日水曜日

『新宿駅最後の小さなお店 ベルク』井野朋也


父が詩人だとか、店をやりだしたのは28歳とか、新宿に生まれ、育ったとか、対等な関係を築きたいとか、思考とか考え方、あれこれにシンパシーを感じてしまった。

2016しょっぱなから、出会うべくしてな一冊だなあ。いやはや。ありがたい。


昔、とある習い事に熱中していた。

思えば、日本らしからぬ学ばせ方だった。
遊びの中に学びが散りばめられ、がきんちょらは飽きるはずもなく、季節ごとに様々なイベントを催してもくれた。
超文系なぼくはこの習い事がなければ、今よりさらにアンバランスな人間になっていただろう。
今や数字は何より信頼できる友だち、である。わはは。
大人になると友だちが減ると先輩方はよく言っていたが、確かにそうだな。どうでもいい友だちはいらないし、既にどうでもよくないとっておきの友だちはいるから足りているし。

話がそれる。習い事のお話。
クリスマスにはみんなでプレゼントを持ちより、メインイベントはプレゼント交換会。
誰のが来るかな。
毎年、何よりも誰よりも注目を浴びていたのは、パン。

ある年はガメラ。ある年はキングギドラ。
とーちゃんがクリエイティブなパン屋、な息子が学び仲間にいたのだ。

誰もが、その怪獣パンを羨望の眼差しで見つめていた。しかし、憧れは勿論、嫉妬もした。注目を集めたいとは誰しも願っている。しかし、自分でやってないじゃないか、反則だ、と心のうちで毒づいたのも確か。ただただ、羨ましかった。ただただ、一度でいいから持ち帰りたかった。

ベルクという新宿の個人店の店長が書いた一冊。読んでいくと、パン職人は高橋康宏氏。

…たかはし?
さらに文章は続けて
「同じ新宿区内ですが、いいところにあるのです。何とも風情のある商店街。近くに神社があって。」

間違いない!
ガメラパンの【峰屋】やないかーい!

学び仲間であった息子は、「自分でやってないじゃないか」の声を感じ取っていたのか、やはり、父の背中を追い、パン職人になったと、風の噂で聞いた。

結局、全部、新宿、か。たどり着く先は同じ、か。
新宿に生まれ、育った者はその街の手の内からなかなか出られない。結局、外に出るほどに、あの街の多様さ、深さ、奥行きに、自分のちっぽけさを突きつけられる。「生まれ」からは逃れられない。
手の内で弄ばれている。しかし、ぼくはあがき続ける。ネバーギブアップ。
高校生になると、庭が広がる。しかし、他の街で見つけた宝物は大概、新宿にもあって、よく落ち込んだ。逆輸入的に新宿の大きさを知っていった。

しかし、この広い空はどうだ。臭くない空気。歩く人はぼくくらいだからよける技術もいらない。美しい湖も水も氷もないだろう。えっへん。
それらに誰よりも長く深く感動できることと新宿とは、ぼくの中では表裏一体。
当たり前をどっちにしたいかは、自由だ。

幸か不幸か、ぼくは日本一、いや、世界的にも面白すぎる街に生まれた。そこは、あほみたいに人間臭く、人と人との距離感が必要なところには遠く、いらないところでは近すぎる。

ここは、あらゆる距離感がぼくにはちょうどいい。それが「住み心地」なのだろう。

新宿、我が永遠なるライバル。
千歳。浮気者にいつでも優しい。

書評失格、かな。いやはや、こんな書評こそぼくなら読みたいね。


2016年2月23日火曜日

激闘の日々を支えた裏メニュー



ホットカルピスにクエン酸。疲労回復効果を狙った今冬のイチオシ裏メニュー。

そんなことはどうでもいいのだ。

思う人が、元気であるか、笑っているか。それだけ。
今はただ、待つだけ、祈るだけ。
なんでやねん、が、ぼくの暮らしには多い。
心からの、なんでやねん、は、なんだか、ちと、切ない。ちと、どころでない。あほか。でも、多分、大丈夫。笑い合うイメージは鮮明。




2016年2月22日月曜日

日が伸びてきた


カフェ男子ふたり。
お洒落な緑やなあ。


呑気に食っちゃべる昼下がり。久しぶりの平和。心、凪ぐ。
photo by ほーりー。

相変わらずよく喋る…お互い様、か。

チーズケーキを頼んだら、シャーベットまでついてきた。
人類の幸せは、日常の何でもないヒトコマに潜んでいる。

北国のカフェは大きな窓が多く、冬も夏も景色の素晴らしいところが沢山ある。
そういえば、支笏湖を眺めながらコーヒーを飲めるカフェは【かのあ】だけらしい。

【ミオン農苑】に集う野鳥たちは皆、ウソみたいに肥えていた。ウソもいた。ウソじゃないよ。

いつも凪では、凪に意味も価値も感謝もない。
荒れ狂う日があるおかげ、べた凪があるおかげ。
どんな『今日』も素晴らしいと、365日思いたい。