2018年4月30日月曜日

GWにみんないる2018

GWといえば、=代表の本州遠征=不在というのが例年の習わしでして。
ぼくは留守番隊長でして。
しかし、ぼくも去年は単独行動、美々・千歳川づいていた。

支笏湖にみんながいるGW。店ができてからは、多分初めてな気がする。
夏でもないのにオールスターズ。貴重やね。

水の上でガイドは考えることが非常に多いようだ。
改めて新米カヌーガイドの教育風景を連日見ていると思う。ものすごい情報処理能力。
ボケ防止には水の上。


PM2.5の影響かハンノキ花粉か、のどの調子がイマイチ。

minority街道まっしぐらのぼくは人の圧・数・集団というのに弱い。前世で何かあったにちがいない。
しかし、向き合う繁忙期。
ゲストと、ガイド同士と、あれこれ試しながらはかりながら、すり合わせ作業をこれだけ集中して連日できるのはGWの恵み。
いやはや、前線出るの久しぶりすぎて新鮮!

中学校で別クラスだったので絡みのなかったシブヤくんが満月の今夜武道館で唄っているらしいことをたまたまツイッターで知る。宣伝のため(必要なさそうだが)言っておくと「SUPER BEAVER」というバンド名である。
新宿に居続け、駆け抜けている人がいる。ぼくは本気出せているか。こういう活躍が耳に入ると、素直に非常に嬉しい。よしゃ。
way finding。



2018年4月29日日曜日

ガイド全員集合


GW、突然現れる夏。夏の予行練習。
あれこれ擦り合わせていく。
どたんばたん。
吹き荒れるのは春の風。

2018年4月27日金曜日

読むのでなく察する


空気を読む。その先。察すること。宮大工風には「ダンドリ」。

ぼくはダンドリという言葉が好きだ。

察しろ。と大師匠は言った。

何か指示を出されてその通りに動くのでなく。
それでは奴隷のまま人生終わる。

何も言われない、無数にある選択肢の中から判断し決断し行動に移す。

想像力。

こうしろと言われるとイヤでもこうしたくなくなる。指図をされるのとされないのどちらがストレスかといわれたらきっと結局のところ前者。

自分で考えて自分で動き、後始末も自分。自己完結できる職場。日々の鍛練は店の中でも。この繰り返しがいつかの川原につながるはずだ。
ふっと気が抜けると、仁淀川に意識が飛ぶ。

外に出ないと自分の姿は見えず、できないことがあることは苦痛でもなく、できるようになりたいことが明確なイメージとしてある幸せ。
とりあえず卵焼きの練習から始めよう。

2018年4月26日木曜日

「強い点」

三年前くらいな気持ちでいる網走で開催されたとあるローカルなまつりについて主催者の一人神宮司さんの文章が上がっていた。

道東誘致大作戦を終えてby神宮司さん。

以下、ずきゅんわーず引用。

・自分は強い点になる努力をしきれているのか
・何かを始めることは、自分の実力を晒すことであり、やっぱり怖い。
・やって何か変わったかというとそうでもない。でも、やらなかったほうがよかったかと聞かれると、NOと言う。
・ちっぽけなプライドとさよならして、できない自分をさらけ出して、助けを求めていきながら。前に前に進めばいい。



四月の半分を道外で過ごさなければ、これらの言葉にグッと来なかったと思う。

「個」としての自分を高めることが結果的に全体のためになることを目の当たりにして、ぼくが手探りでしがみついた三年は半月で破壊された。

熊野川で清められ、四万十川で気付かされ、仁淀川でKO。

破壊というのは良いものだ。壊れるのはつくれていたから。つくったら手離す。新しい自分に出会いたい。
身一つで、どこまでいけるだろう。気にするべき方向性を見誤っていたようだ。

全体のために個を埋没させる手法はナンセンス、本末転倒も甚だしい。我を殺すことは無理だのに。
生まれつき、長いモノ、大きいモノが大の苦手だったではないか。常識と足並みをそろえられないのも生まれつき。
「まともぶるのやめなさい」と三大河川に順繰りに諭された。

ぼくのペースで強い点へ向かおう。

2018年4月25日水曜日

美しいもの、素晴らしいもの

朝。浮足立たずにはおれない景色が開けた。


こういう世界を知らずに死ぬ人の方がmajorityという事実。信じられない。狂気の世界はどっち。街?湖?

何かひとつ、ゴシップネタを仕入れるよりも、美しい景色をこの目に焼き付けていたい。
そこに何のためになるからとか誰かに良く思われたいという打算はなく。
時間も命も有限だから、生きてて良かったって思えること、思わされる対象とだけ関わっていたい。

2018年4月23日月曜日

快晴ベタ凪サンドッグ

観光船が動くのを見ると、本格的シーズンイン!という感じがする。
こんな日にツアーに出れたら、ごっつあんです。


午前、文句なしのベタ凪。


逆さカヌー。


のんびり湖を漂っていると、うっすら引かれた雲ライン。


恵庭岳方面からずっと続いていて、見慣れぬ空模様。


午後。昼寝ごっこをして見上げた空にはサンドッグ。

なんだろう。やけにサービスするなあ、支笏湖。まだGWではないぞ。


ツアーの合間には、松澤先生による新人教育。
はて、どんなカヌーガイドが生まれるのか、こうご期待。

2018年4月22日日曜日

日常と旅のトンネル


一組ずつ丁寧に行っていた3月のツアーから一転。
南国の熱にやられつつ、早くも夏に突入した支笏湖。
この何とも形容しがたい外界とのギャップを毎春松澤先生は一人で味わっていたのだな、と。


day 8。
木名瀬がってん氏×「月とカヌー」の匠&よしこさん。
ぼくにはどこかの芸能人より大スター。

仁淀川で働く!という設定以外は完全ノープランで乗りこんだおかげで今回乗りこんだのはカヌーではなくシーカヤック。
水の上に最初にぼくを誘った乗物での島旅。点と点をつむぐ線。瀬戸内の潮流は超激情的であり、カヌーでは実現不可能なプラン。
カヌーには縛りが多く、だからこそ面白いのだが、縛りから解き放たれるカヤックであれば行ける場所がぐぐんと増える(だってここは島国なのだから。淡水を探すより海水が早いわけだ)という事実。当たり前のようで忘れていた。
「障害は不便だけれど不幸ではない。」と言ったのは乙武さんだっけか。

やれるようになりたいこと、やりたいこと、やってみたいこと、夢と現実。暮らし。憧れや理想、確認とすり合わせ、出会いと再会。現実と、旅の空の色の狭間。
カヌーガイドという新しい生き方。なぞるものなんてなく、なぞる気なんてなく、むしろつくる、生み出そうとしているクリエイティブな人がこの世界には非常に稀であるけれど確実にいて、その人たちと揺れる火を見るでもなくぼんやり眺めながら過ごす。
これぞ「とっておき」、である。

ぽつりぽつりとこぼれる言葉・思いたちをぼくはあれからずっと反芻している。
カヌーを漕いでいく中で出会うそういう人たちは誰もかれも素敵で。
そう、やっぱり、最高に素敵。
そんなこととっくの昔に分かっていたはずだけれど、本当の意味を、凄みを知ったような。

「この人、すげー!!!」
素直な感情を抱かせてもらうのも随分久しぶりな気がして。上を見るってこんなに嬉しいことだったっけ。


今現在の自分にできること、足りないもの。
素直に、シンプルに、どう生きたいか。何のためにカヌーなのか。
この春、visionについてよく話を交わしていた。ぼくらはどうなっていきたいのか、どうなりたいのか。
質問したわけでもないのに、answerを幾度ももらって。

眠らせていた、死んだかもしれないと少しおっかなくもあった「個」として、「ガイド」としてのぼくは、ぼくの中でこっそり息をひそめて待ってくれていた。

身体一つでぶつかること、動きながら考えること。水の上の学びに忠実に生きたい。