2013年9月8日日曜日

遠のいた世界と東京オリンピックという愚行

耳の聞こえが悪くなると、世界がまどろみ、遠のく。

それでも2020オリンピックが東京で行われるという愚行としか思われないニュースは僕の耳にも届き、ああ、本当に最低時代を生きねばならんのだなあと朝からため息。

原発を再稼働したい人と、オリンピックを東京でやりたい人。どちらもたったひとつずつの「生命」を何だと思っているのだろう。
ぼくが注視しないブラウン管の向こう側では「オリンピック反対」という人が一人もいないらしい。戦争を前に「戦争反対」と唱える人が出てこなかったように。表現の自由は既に、随分と前から奪われている。

腐っているのは日本の支配者だけではないということ。開催地を日本と決めた世界の支配層も腐りきっている。
今朝、うーむと唸ったオリンピック解釈をTwitterよりご紹介。



 
放射能汚染を隠蔽するためには、使える道具は何でも使うという、世界の権力者達の意思表示

東京オリンピック決定。これからは7年間に亙って世界の眼が東京、そして福島に注がれる。汚染水の問題のように、福島の問題は世界共通の問題として関心を集めることになる。その意味では朗報。
日本の本当の意地を見せていただきたい。 

そう、招致失敗した方が恐かった。数の力で憲法改悪しちゃうだろうし、汚染水問題もいい加減に、世界から孤立の道を歩んでいた。歯止めが掛かったとおもった方がいい。 
 
なるほど、そう考えるといいですね。日本にとって本当の意味での好機かも。




日々の暮らしに戻りましたら‥
内心ではびくびくしながらの社会復帰の舞台は団体さまでした。



いつも以上に絶好調のnaokiさん。



しつこいくらいに好きな構図。通い慣れた通勤路。というか。どこまでも行けそうでしょう。
四字熟語で表すなら「前途洋洋」。


「今度、あの山、行きたいね~。」
振り返りっぷりに、おふたりの仲の良さが伝わるようで。


 たった一本しかパドルを持つなと言われたなら、ぼくは【エインズワース】の「C100」を迷わず手に取るよ。
この一本さえあれば、激流も静水も、どこへでも行けるんだもの。一夫多妻制パドル。‥ちとちがうか。
これを手にする前は何を使っていたのか思い出せない。


びしっと恵庭岳紹介中!


ゆったりとくつろぎながら、ガイドの話に頷くおふたりの後姿もいい感じなのでした。



イベントっぽい写真。
「っぽい」は余計ね。



「何か」が足りないと、人は臆病になることを再確認。何が恐いって、人と関わることが恐かった。
いつもは聞こえる音が聞こえにくいというのは不安で。
日々のツアー中、自分が目だけでなく耳でも多くの情報を得ていることが分かった。
自分がどういう状況にあるかを知っている人がまわりにいてくれるだけで安心感はケタ違いに増すということも。
naokiさん、Pちゃん、昨日も今日も‥毎日か。あとんす!

「何か」が足りなくても、「何か」を許容してくれる理解者がまわりにいれば、ビビりながらでも社会とつながることはできる。

‥ビシッと決まったなあ。

‥‥と、自分で言ってしまうあたりが余計なのだよなあ。

※以下、面倒臭いです。

ぐだぐだと続けるならば、足りないことが悪いのでは決してないと思う。
例えば、足りないと思ったのは、何に思わせられたのか、じっくりと考えてみたらいいよね。

世の中から押し付けられてきた多数決風二元論的価値観こそ諸悪の根源ではないか、と馬鹿りんぴっくへの不満も相まって、不用意に鼻をかんだ自身の行動に原因を見出すことなんてせず、「世間」とかいう都合の良いお言葉―「人間の集団」にのみ狙いを定め集中砲火を浴びせてみたりする。そんな僕自身も人間の一員である矛盾も棚に上げてさ。

悪と善は共存していて、ふたつはそれぞれであったり単体で存在することもあるわけで、ふたつを分離して敵対させてやっつけて「やったー!」なんてどこかのお国の映画のような、あほみたいに単純な図式ではないのだよ。

「基準」と比べるから自信を喪失する可能性が生まれる。比べる「基準」なんてのがなければいい。もしあっても今ほどガチガチに固めなければいい。身動きが取れなくて苦しんだ人たちを僕は知っているし、苦しんでいる人も知っている。
長い物目線では、偏差値とか収入とか分かりやすい定規があった方が効率的。
無秩序では、白黒ではないグラデーション国家では、統率がとりづらい。
自由にされると困る人たちがいるから、僕らはあらゆるところで囲われているわけだ。僕らが力を合わせることは支配層にとっての脅威なのだ。世界はあらゆる線だらけで真っ黒だ。
「立ち入り禁止」の札があったら、その札が何故そこに立っているのかを考えてから従うか従わざるかを決めたらいい。必要がなければ、実際には無理な看板も心の内でひっこ抜いてしまえばいい。

白黒とかグラデーション話の続き‥
生物多様性は強い。
寒さには弱くても暑さには強いヤツがいて、その逆もいれば、どちらの時代が来てもどちらかは生き延びて生命をつなぐことができる。生物多様性は守るに値する価値があるのだ。

身体的には足りていても、どこかで人にはそれぞれ足りないところが必ずある。身体的に足りないと、分かりやすいから「障害者」とかいうレッテルを貼りやすいんだろう。
まともな人、普通な人なんてこの世界には元々いないのに、まるでいるかのように信じ込まされてきたんだよ。
普通じゃなくていいよ。まともじゃなくていい。まっすぐに、ありのままでいい。矛盾を抱えながら、人間臭く、分かりやすくありたいね。人間らしく。人間はいいものだ。
安倍さんも猪瀬さんもよくない。人間じゃあ、ないんだろう。


ぼくは悔しい。東京がかわいそうでたまらない。ここまで悪用されてこき使われて。東京は泣いているよ。こんなはずじゃなかったのにって。未来ある人たちは今すぐここを離れてくれって東京はずっと言ってるよ。
「カントリー・ロード」の歌詞でさ、「この道 故郷へつづいても 僕は行かないさ 行けない」とか「帰りたい 帰れない」の解釈が3.11以降変わったんだよね。それまでは一旗揚げるまでは!っていう意地だと思っていたんだけれど、抗えない物質のせいかもね。

ぼくは、とうきょうがすきだ。とうきょうもすきだ。だから悲しい。汚したのは誰か。ぼくら人間だからぼくも謝る。ごめん、とうきょう。好きな人と、ただ歩くだけで楽しいとうきょうの街。
神宮、御苑、皇居、青山、神保町、蒲田、渋谷、表参道、高田馬場、六本木、新宿、四谷、市ヶ谷、吉祥寺、国立、下北、高円寺‥いろんな街をふたりで。ひとりで。歩いた。漕いだ。

2011年3月からずっと死ぬまで、死んでも‥。
こんなに悲しい現実があるだろうか。



考えることも、足や手や口を動かすことも、全部てんこ盛り時代だよ。

日々、勉強。
足りないくらいで、ちょうどいい。


乱文失礼。垂れ流しすぎるあちこち浮気文章。さてどうしたものかと思いながらもせっかく排泄したのでね。毎日快便当たり前、生理現象だものね~。

明日も、しっかり休養宣言。

2013年9月7日土曜日

鈍痛と郷愁

昨夜。
さらさらの鼻水が出てきて気持ち悪いなあと思いながら鼻をかんだ。
すると、今までに聞いたことのない妙音が左耳をつんざいた。衝撃が凄まじかったので鼓膜の破れた音だと直感的に思った。

実際のところ何がどうなっているのかは分からないが、誰に助けを求める時間でもないし、朝を待つしかない。朝になれば土曜日なら病院はやっているようだ。日曜でなくて良かった。
すぐにでも眠りたいのだけれど徐々に鈍痛がひどくなってきたので、今夜は寝られそうにない。

耐えられなくもないけれど耐えがたいという種類の痛みに、僕はある種の懐かしさを覚えていた。


徹夜を決心して、柳田邦夫さんの「零戦燃ゆ1」を読み直し始める。(全五巻)


1は既に読了済みなのだがすっかり記憶が薄れているので2を読むには1からやり直さないと。
この本は良著だ。人間らしいけれど主観によりすぎない複眼視点が混じっていてそのバランスが絶妙。柳田さんの伝えたい、知ってほしいという熱い思いがひしひしと文面から、行間から伝わってくる。記録文学の意義。

ぼんやりと痛みに耐えながら、自然最悪を想定していた。
耳が聞こえなくなったら、どうしよう。
‥何より困るのは君の声が聴こえなくなることだ。
どうしたものか。片耳あればまあいいか、とすぐに思い直した。耳が悪くても書くことはできる。


鼻を強くかみすぎたつもりもない。ただ、夏の終わりの疲れがたまっていて、身体からのクレームが耳から発せられたということだろう。
クレームを受ける前に処理してあげたかったのだけれど間に合わなかった。

【診断結果】
鼓膜が破れたわけではなく、化膿性の「中耳炎」とのこと。
治るには早くて一週間ほど。
・ついでに鼻は「蓄膿症」だとか。昔から鼻の機能性は嗅覚も含め自信がない。
★もらった薬(四日分)
1ペングッド錠:ペニシリン系抗生剤。最近の感染を抑える。
2ロゼオール錠:痛みや炎症を抑える。熱を下げる。痛いときだけでいいとのこと。
3メチスタ錠:副鼻腔炎の膿をとる。痰を出しやすくする。
・三・四日後に再診。

僕、「医薬品登録販売者」資格、持っていたりするのですよ。


ここ数日の自分の身体は体調を崩す三歩、二歩手前にいることは分かっていた。いつも予兆はのどの痛みからやって来る。今回はその後、全身のコリ。寒気。
早めの睡眠を心掛けて身体が壊れないように気を使ってはいたのだが。
ごめんよ、身体。申し訳ない‥。

「身体は道具で、道具は使うもので、使えば壊れる」(新谷暁生)ということを分かってはいても、
カヌーガイドの現場仕事はたいして身体の強くない僕にはいつまでもできるものではないことも分かってはいても、
それらはとどのつまり、分かっているつもりでしかない、直視しないでいた現実だったのかもしれない。

潜在意識下では分かっていて、だから、より刹那主義的に生きているのかもね。

まあ、なんつーか、身体が弱ると心も弱る。

ああ、いつまでも馬鹿やって笑っていたいだけ。
上だけでなく足元も見ないといけないお年頃、なのでしょうか。


「ぼく」はいったい何にしがみついて、何を守ろうと躍起になっているのだろう。
内なる小宇宙と分かり合える日は来るのだろうか。








2013年9月6日金曜日

久々Gorikon登場、カラフルSoto Cafe

Goriちゃんから譲り受けたNikon(D40)だから、「Gorikon」。


ズームレンズに手を出すか否か判断すべく久しぶりに持参。
うーん。やっぱ欲しい気がする。

そんなわけで今日はGorikon写真です。


秋の新作ズボンでお出まししたのは、永遠の37歳・お洒落番長Pちゃん。
お客さまたちもお洒落カラフルな朝。

秋。衣替えの季節。心も身体も秋色に染めて。
未だ夏色が抜け切れずにいる自分の身体が邪魔くさくてたまらない。厳しい夏を乗り越えてくれた身体には勿論感謝しているし、いきなり秋だって言われても納得いかないのも分かるけれどね。うん。

染めてといえば‥「染まるよ」。チャットモンチ―の唄を全曲は知らないけれど多分いちばん好きな曲だと思います。


まとまりのあるカヌー船団。まるで航空ショーみたい。‥「漕湖ショー」、か。
今日は午前も午後も素晴らしいフォーメーションが完成。

ものすご~くカッコよく見える!‥のは僕らガイドだけでしょうか。




久々の湖も、この通り。「青い」の一言。

2013年9月5日木曜日

今日もどこかで★川んday


ツアー終わり、naokiさんがつぶやいた‥
「今日は一日“川んday”だったね。」


ぼく『‥え?なんすかそれ。‥あ。なるほど~。(メモメモ)久々にキャッチ―なタイトルだ。』


しょうもない陸地でのやりとりはさておき、

連日降り続く雨は、千歳川源流部を恐ろしいくらいに青くしています。


透明度は落ちても、この色なら文句はないでしょう。うさん臭さしかないけれど、これ、全く加工していないですからね。

気持ち良い秋晴れ!
が、風は立ちまくっている湖はどこも荒れているでしょう。ということで、ぼくらは穏やかな千歳川源流部に引きこもり決定。いえーい。家ーい。


夏は確かに終わったのですが、秋も賑やかなSotocafeなのでした。


風立ちまくりといえば‥映画「風立ちぬ」。‥といえば、宮崎駿。‥そこかーい。しつこい?
さらに続けて、ぼくといえば、‥ずきゅんわーず。

未だ「かのあ」の面々は映画を観てくれないので話したらネタバレしてしまうから誰とも風立ちぬ話ができないんだもの。

納得の理由も出たところで‥‥宮崎駿わーずを一発紹介して締めますよ。

「人恋しくなるほうが良いんです。ずっと人と付き合ってると、うんざりしてくるんです。だけど、一人でいると誰かと会いたくなる。だから、ちょうど良いんです。」


今のぼくも、ちょうどいい。

東京だと頼まれてもいないのに人のことでいっぱいになって手元がおろそかになる。
東京は、この超未熟児から見ても、危なっかしくて見ていられない人が多すぎる。
そんな人はぼくのまわりだけの話かもしれないけれど。

北海道は、ちょうどいい。
まわりは自分の足で立っている人だらけだから、ぼくは誰でもない「自分」のことをめいっぱい考えればいい。

「ちょうどいい」は、永遠でもないから、拮抗はふとしたときに崩れるだろう。

ダライラマではないけれど、「執着せずに愛する」が良しなのだろう。


人の一生のうちで、自分にのみ淫することができる期間というのはどれほど貴重なものであろうか。

その意味を知っていながら淫するのと、無意識に淫していることにも気付かず独りよがりな酔っ払い風青二才とでは、雲泥の差があるとぼくは思っている。


「自分」というたったひとりの人を、愛せるうちになるだけ愛しておきたいから、自慰的生活をもうしばらく続けていきたいと思う、秋の夜長なのでした。

ちゃんちゃん。





2013年9月4日水曜日

旅の唄~「Doucity」


「Doucity」2013.6.25


そこにいないのに、そこにいる気になる

そこにいないのに、見てはいないのに、ぎゅっと目を閉じる

見ていられなくて、目を閉じる

見てもいないのに、見ている風で、目を閉じる


どうして、この世界は、どうして、どうしてばかり

どうして、この世界は、愛しあいたいがために離れあうの

どうして、離れるがために愛し合うの


どうして、どうして、どうして

僕には分からないし見えないし、随分前におさらばしたよ

どうして、君はいるの

どうして、僕を見つけてしまったの

どうして、思い出させるの



ひとりは楽だ

どうしようもなく楽だ



「さらば、夏会」

昨夜。
かのあ「さらば夏会」。尻別川に続き、これで完全に夏におさらばしてやるのです。


新メンバー・花歩ちゃんも仲間入り。もう二ケ月でちゅよ~。

帰りがけに自分のサンダルが分からなくなる僕だから、何の話をしたかはあんまり覚えていないのだけれど、とにかく思いっきり笑ったことは確か。
それでいいのだ。


駆け抜けた、怒涛の夏。
この仕事は、生きる上で出くわすあらゆる感情を引っ張り出してくれる。笑顔ややりがい、こわさや苛立ち、不満や憧れ‥ありとあらゆる感情が心の中で荒れ狂う。僕はいつでもどこでも風に翻弄されている。
逆に言えば翻弄させてくれる(そこんところ)所(さん)、風の吹く場所を欲しているからそこへ自然導かれているのだろう。

天気、カヌー、支笏、季節、ゲスト、ガイド、色彩‥何よりも突きつけられるのは、それらのフィルターを通して見える等身大の自身、だったりする。

場所やら人への異常なる好奇心の源は、内なる小宇宙から来ているのかもしれない。
「自分」は何者で、どこから来たのか、何をしたらどう感じ、どうしようとするのか。
小さい頃から僕の関心事は何ら変わっていないわけだ。

そうして、誰もが認める「面倒臭さがウリ」のガラスのハート保持者を、僕以上に分かっている人がnaokiさんでありnaoさんなのです。お二人にはほんま、かないましぇん。


お次は、早足の秋です。
季節に置いて行かれないように、冬のために心の声を聴く季節に突入です。


改めましてのSpecial thanks ‥ naokiさん naoさん Pちゃん たいちゃん かほちゃん。


これからの二・三年で、
少しずつ、僕のペースで、好きなものだけをそばに置きながら、自分の足で立つのです。
投げやりでなく、生かされている受動に甘んじるだけでなく、ちゃんと生きたくなってきたのです。


2013年9月2日月曜日

さらば2013夏、尻別川

脱カヌーガイド日。

朝。相変わらず冴えない天気だなあとため息をつきつつ、うだうだと寝そべりながらto do listを脳内で制作していると、naokiさんから電話。

「尻別行くけどどうだい?」

‥待ってました!遊びたがっていたのは僕だけではなかったようです。


かのあブログ→夏の終わりを告げる1日より写真転載。
吾輩、真面目な顔もできるんだね。

【僕のスーツ】
★気象状況‥体感気温23℃。薄曇り、微風。湿度、低くはないが高くもない。わりと過ごしやすい。運動量、多め。

(下)
・エーグル/ピークパンツ七分
・レイブン/ドライパンツ
・スマートウール/PhDアウトドア ミディアムクルー

(上)
Patagonia/キャプリーン2長袖
モンベル/クリマプラス100ジップベスト(脱いだり着たり)
ファイントラック/エバーブレスバリオ(脱いだり着たり)




この頃、とにかく、遊び足りず、フラストレーションが溜まっていた。その証拠にあれこれ愚痴っぽかったでしょう?
ガス抜きをするには時間が足りないなあと困っていたところに、鶴の一声。渡りに船。いやいや、渡りにカヌー、です。

振り返ってみると、ぼくは一ヶ月ぶりの川。

頭を使え。身体も使え。心を洗え。

消耗すればするほど、笑顔が増えていく。

カヌー、自転車‥何かに乗る人たちには、マゾが多いように思う。


それぞれに課題をこなす。静水でも流水でも激流でも、美しくありたい。

場所が変わると、顔が変わる。湖では見られない顔が川では見られる。別もまた然‥別湖。


思いっきり、誰の顔色も気にせずに、ただただ漕ぐ。
たった一点にのみ集中できる幸せ。



 今日も本領発揮・お茶目なnaokiさん。



こわい。
これって、「寂しい」と同じで、生きるために、生き延びるために、とっても大事な感情だと思う。

こわいから目をつぶる‥のではなく、こわいけれど、向き合おうと試みる。


カヌー。姿勢と覚悟を問われる乗物。カヌー。笑顔と悔しさ、あらゆる感情を積みこんでいくよ。


五感も納得のさらば夏的川行でした。


行き帰りには、11月の話も出て「あと二ケ月かあ。もうそんな話をする時期になったんだね~。」なんて、夢を膨らませるかのあ車内なのでした。