汚い河、立ち並ぶ高層ビル群。ここはバンコクのあそこからの景色そのまま。そうか、ここはバンコクだったのかと思ったら、‥浅草橋でした。
1月は一度、浅草へ行く。何となく、毎年の決まりとして定着してきている。夏ではなく、ここは、冬の聖地だ。1月は、年始の余韻が適度に残っているのがいい。
苦しいときに導かれたところだから、感謝の念が定期的に足を運ばせているんだと思う。
浅草に住みたいとは思わないけれど、僕は浅草が好きだ。
初めてあつあつの人形焼を食べたときの感動。ブリキのカラフルなおもちゃを売る露店に目を奪われて、みんなとはぐれそうになったことを思い出した。根本は何も変わらないなあ。
表通りは修学旅行生やらで大賑わい。僕は今日も裏道を行く。ねずみのようにちょろちょろと。この道がどこにつながるのか、僕は知らない。ただ、知りたいだけ。何度も来ているのに分からない道はなくならない。行きどまったら、引き返せばいいだけのこと。
ヨクサル(スナフキン父)ではないけれど、どこにも行き着かないなら、それはそれでいいじゃないかと、僕は思う。心の動きは一瞬で、すべてを捉えて形に残すのは不可能だけれど、断片は変換できる。自分が感応できなかったら、“生”が死んでしまう。“ぼく”は自分に殺されたくないだろうから。
知ろうとすればするほど、どんどんわからなくなっていくということがわかってしまっても、尚、やっぱり、僕は、僕らは、知り会いたいと欲する生き物だ。
今日は「ふじや」ではなく、「くるり」手ぬぐいにした。父への遅い誕生日プレゼント。
その後、浅草寺近くで【布文化と浮世絵の美術館 アミューズミュージアム】なる建物を発見。
「BORO 美しいぼろ布展~日本人は何を失い、何を守ってきたのか?~」2013年3月24日まで。
‥うーむ、絶対ドストライク。1000円で入場。
青森の民俗学者・田中忠三郎さんの「物には心がある。」という本からの抜粋文章がとてもあたたかい。
↑右のコタツがけは、痛んだ生地の布をほどいて糸に戻して、再び布にしたもので、何度も繰り返し使用されていた。
布を裂いて何度も織るので「サキオリ」と言う。
とりあえず、さわってみた。
衣食住の一番手「衣」からのメッセージ。今の時代が疎かにしてきたモノの手触りを僕は確かめた。
学生服。
寒さの厳しい青森だから育まれ、引き継がれた技術。生きるチカラ。冬を無事に越すために、「衣」は工夫され続けてきた。何も知らない我が子はその「衣」をつくった母親に「みっともない、貧乏くさい、捨てちゃいなよ」とさらりと言う。ひとりの民俗学者は、その「衣」の意味を知っていた。
田中忠三郎曰く、「全ての物は誰かが作り、誰かが使ったものだ。例外はないんだな。」
厳しい環境だから、人は強くなる。あたたかくなる。
作業着。美しい。欲しい。
浮世絵のことも学ぶことができ、大満足。
屋上に出たら、見晴らしも良かった。
帰りがけに、上野と御徒町の高架下にある、お店屋さん集合地帯を冷やかした。ここも面白い。
布、いいねぇ。
返信削除それもふくめ、東北には心惹かれるものがたくさんあります。
とりあえず陸続きになったので、今年からは東北にも足を延ばそうかと考えております。機会があればご一緒に。
南部鉄器でも探しに行きましょうや。
BORO 見たんですね。僕も数年前から資料を探して、絵を描くときのモチーフにして居ました。人の想いと時間が作り出した「奇跡のテキスタイルアート」は抽象絵画としても大いに刺激をくれます。展示も見に行けたらいいな、、、。
返信削除>茂木の鈴木さん
返信削除コメントありがとうございます!
実際足を運んだところに、こんな文化があったということ、全く知りませんでした。やはりその場所を知るには「住む」より他にありませんね。
うーん、東北、奥深い。是非是非、タイミング合えばまた行きたいでっす!
>kevipaさん
返信削除コメントありがとうございます!
さすが、既にご存知でしたか。「奇跡のテキスタイルアート」、なるほど。
ただハギレを何点か展示しているものがあったのですが、完全アートでした。「生きる」以上のアートはないな、と。keviさん的アート論、聞いてみたいなあ。
東京はアクセスのよさが利点ですね~。