『カンタ!』@四万十編はこちら↓
【農道9〜『カンタ!ティモール』と福島の高校生たちとメルトダウンだぜ〜@四万十市内】
会場に行くと、見知った顔がいたり、いつものコーヒー屋さんがぼくのことを覚えてくれていたり、映画が始まる前から何だか嬉しいあれこれ。
主催は恵み野中学の同級生五人組だとか。
Special thanks.
終わってから感想を伝えようと思ったのだが、自分の中で消化しきれず、一言「ありがとう」だけで会場を後にした。
それからぐるぐるぐるぐるして、少し落ち着いたのと、
宣伝だけして終わるのもどうかと思うのでここに書き残してみる。
観たはずなのに、もう知ったはずのことなのに、衝撃的な内容で、忘れ難い事実であるはずなのに時間が経つとどんな記憶も薄れるらしく、初めて観たかのように驚いている自分に疑問が生じた。
疑問というか失望、か。
何を忘れてんのさ、と。
でも、以前は見逃した言葉も確かにあって。
「“平和”とは 暮らしそのものさ」
いつかのぼくは、無性に「家」に帰りたくなった。
「home」がどこかも分からないのに。
「home」アイデンティティーの喪失というのは、個人差によるのだけれど大体にして都会人の悲劇だよなあ、と客観的に思う。
結局、前より“平和”(暮らし)には確実に近付けているはずで。
街中で叫ぶより何より、今面白くなってきている「暮らし」こそが、最も有効な手段である、とぼくも信じたい。
「食べるもの、使うもの、愛するもの、寝るところ…どれもつくれる?」
四万十で観たいつかのぼくは自らの質問に何ひとつ答えられなかった。
恵庭で観た今のぼくがつくるようになったもの。
「ふたり」はまるで別人だ。革命はぼくの中で確実にうごめいている。
この映画の根っこはぼくの記憶ではなく、もっと奥深くに定着していたのではないか。
誰彼にでも薦められる映画ではないけれど、「いい映画だよ!」と言うのもちと違う。
でも、原発時代日本で暮らすぼくらが見ておくべき映画であると改めて思ったのです。
全国各地で上映会が開かれているので、お近く開催のものがあれば一見の価値はありますよ。
「大地を治すんだ」
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