2014年8月30日土曜日

世界一のコーヒーと音楽

去年、世界一のコーヒーを見つけた。

世界一のコーヒーはぼくに香りや味だけでなく、世界一の音まで教えてくれた。

それからずっと、何度も何度も飽きることなく車の中で流し続けている。



昨日、久しぶりにコーヒー豆を買いに行った。
「きゃろっと」店長にこの音楽は素晴らしいと伝えてみると、待ってましたとばかりに「SPACE土CHANT」のLIVEは明日、由仁であるという。

たまたま、昨日コーヒーを買いに行かなければ知らなかったこと。

ぼくはこういう「たまたま」だけを馬鹿みたいに信じて、ここにいる。

行かないわけには行かないよね。

会場に着くと、「もしや‥」と思っていた由仁の踊り手がやっぱりいて、去年の「カフェみんたる」@札幌でお会いして以来の嬉しい再会。

どこで何をしても、出会う人は変わらない。

一番好きな唄に身を委ねていると、いつかの冬の日がフラッシュバックした。
忘れてはいけないことほど、ぼくは忘れかけていることに気付き、申し訳なさと感謝と懐かしさと‥、言葉にできないいろんな感情はいつでも涙となる。ぼくらの身体は案外単純なものだ。

「大地へ還れ 大地へ還れ」

(いつかのてやんday『始まりの地』】)


座りながらじーっと聞く音楽としては無理がある。
音が鳴ればウズウズするのは、太古よりの遺伝子に刻まれているのか。

ゆうとさんがぼくらを煽る。


真っ先に踊り出たのは、他でもないきゃろっと店長。さすが、である。「きゃろっと」がもっと好きになった瞬間。

隣にいた踊り手も勿論後に続いた。


音が鳴れば、踊る。特別な事でも何でもなく、それが自然。
何だかこの音はいろんな思い出を引っ張り出してくるようで、ぼくは踊り手の背中をぼんやりと眺めながら2012年3月11日にtripしていった。

after 3.11

霞が関の夜の街で、溢れかえる人々。多すぎる警官たちを尻目に汗かき踊り狂ったあの日と今日にたいした違いなんてないのだよな。
場所もまわりの人も違うけれど、そんなことより大事なのは、ぼくらが生きていること。
生きていきたいと強く願っていること。

そんなときを共有してきた仲間が近日支笏に来るというのも、「たまたま」ではないのだろう。

狂った国では、狂った人が<普通>とされる。
<普通>の面をかぶった狂人には奇異に映るであろうことをすることが、「正常」であるためにぼくらには必要だった。
またはアドレナリンを分泌して心を麻痺させないとやっていられなかった、無意識の防衛本能の賜物だったのかもしれない。
<変な人>が本当は一番「まとも」。「変な人」は街には馴染まないし、いない。



回想終了!
‥それでもやっぱりウズウズはとまらない。

うーむ、ぼくも気持ち良くなりたい。

‥あ、やっぱり、ね。
我慢は体に毒だよね。
全身動かした方がやっぱり断然気持ち良い。

世界一の音楽、やっぱりナマが最高ということで。

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