朝、ツアー前にさっと一降り。
参ったなあと思ったら、徐々に黒い雲は千歳方向へ流れ、恵庭岳方面だけだった小さな青空が視界全体に拡がっていく。目まぐるしく変わる支笏の水と空と風色映画館に、お客さまもぼくも夢中だ。
テレビを三時間見ることはぼくには苦痛でしかないけれど、支笏湖映画館には入り浸り。清掃のおじちゃんに追い出されなければいいのだけれど。
曇ったり晴れたり天気はコロコロと変わりやすく、何より風が安定しない。春と秋は風がびゅっと走る。こわいから無理はしない。誰とやりあっても、風とだけはやりあってはいけない。
相変わらず、水位は高く、濁りのためにバスクリン増量濃厚青色キャンペーンは続いている。
湖のコンディションは最高ではないかもしれないが、支笏はどうでも、ぼくはというと、絶好調だった。支笏の分をカバーしても余りあるものを提供できた気でいる。自意識過剰な分を差し引いても、今日のぼくは乗っていた。ま、いつも乗っているのだけれど。カヌーに。
考えないでも勝手に「ぼく」が動いていた。自分だけれど、自分ではないものが自分の思考を追い越して身体や声を乗っ取り、動いていた。
自分が気持ち良くなればなるほど、提供できるものの質も比例して向上する。
ぼくの快感はお客さまの快感にもつながっていくし、その逆もまた然り。気持ち良くさせたいから、まず気持ち良くなるための自分の腕を上げるのだ。そうか、カヌーってやらしいんだなあ。
今まで使ったことのない、日の目を浴びずに今日まで来た心が動けば、そこに心があったことに気付く。気付きや発見は、知的動物にとって快感だ。
心が動く瞬間を感じる、それが感動。
昨日までの心と、ぼくと過ごした後の心。(「カヌー」や「支笏」は人と人とをつなぐ連結器であり、ぼくのいちばんは自然ではなく、人。)
ふたつが似て非なるものになればいい。心の可動域が拡がれば、世界の色が一変する。
ぼくは壊してしまいたいのだろう。あなたの昨日までを。
午前の気持ち良さを引きずって、午後も好調。
大切な人と乗るのに、カヌーより適する乗物をぼくは知らない。
見知った顔が、見知らぬ顔をしていて驚いた。それは支笏の影響でもなく、カヌーでもなく、勿論普段存外に扱われている哀れなぼくの影響であるはずもなく、それは‥。
ああ、ぼくは恋は春より夏より、秋だと思う。秋はいい。本当にいい。
好きな人と、カヌーを漕ごう。秋。
ん?朝は違ったけれど、ぼくのカヌーには毎日荷物ばかりが積まさっているなあ。
一緒に漕ぎたい人がいない‥わけがない。一緒に漕ぎたい人がたったひとり‥でもない。
好きな人と、カヌーを漕ごう。秋。
カヌーとコーヒーと君。それだけあればいいなって心底思う。
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