なんか、まあいろいろあって、アースデイ二日目。
僕には「約束」という概念があまりないけれど、例外的に“たしかなこと”もある、らしい。
昨日も今日も、peaceful 満タンやで。
勢いづくと関西弁を使いたくなるのはなぜ。
2013年3月11日の日比谷公園での修行の成果を、まさか今日、「地球の日」に生かせるなんて。
ある出店者の方がブース前で、無料で大シャボン玉ゾーンを設けていたのです。
これを見逃す僕ではありません。
気にはなっても最初のアクションを起こせる人は、世の中にそういない。
だから、まず、僕らがやる。まっ先に楽しむ。
笑い声が、人を誘う。
誰かがやりさえすれば、誰でもできる環境が即座に整う。
一気に人だかりができる。
さ、見せ場見せ場~。
何事も、見るよりやるが難し。
何事も、見るよりやるが楽し。
雨上がり、しゃぼん玉、かわいい女の子、子どもたち、おかあさん。‥やばい、最強peaceful!
で、なんかオレ、小学生もびっくりだろうけれど、すげー笑ってたらしくて、ある方に、
「久しぶりにその笑顔見た。全然笑ってないから。」みたいなことを言われた。
うん、やっぱり、「自分のことなんか何も分かっていない」と思っておいて間違いないみたいだ。どんな顔をして喋っているのか、自分のことは絶対見えない。
勿論、誰にたいしても、何にたいしても、どこにたいしても。
その方が間違いない。
その後、たまたま偶然、昨日もカフェったある方に出くわして、会場内のフェアトレードコーヒーを飲みながらあれこれ話した。
みんな、幸せでいてほしい。たったそれだけなのに、それがなかなかどうして難しい。
誰も傷つけずに生きるなんて不可能で、痛みを最小限に食い止めるくらいしか僕らにはできない。
誰かの喜びは誰かの悲しみ、誰かの望みは誰かには迷惑。かもしれない。僕には分からない。
そういえば、小学生のとき、親が担任に言われたことがある。
「(僕は)何を聞いても「分からない」ばかりで、はっきりしない。よろしくない」
と。
あらゆる可能性を考えたら、「分からない」が最も間違いのない答えだと思っていた。
注意を受けたところで、親は僕に「はっきりしなさい」と怒るわけもなく、むしろ担任の解釈の浅さを笑っていた。
大人になって、やっぱり僕の口癖は「分からない」だ。決めつけてはいけない。これでいこう。
分かりたい気持ちは満タンだから。
日が延びてきて、時間感覚が乱れる。
気付けば、五月が指先に触れそうだ。
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