2013年1月13日日曜日

「レ・ミゼラブル」よりも‥


周りがいいと絶賛しまくっているし、ミュージカルは大好物なので、「レ・ミゼラブル」を観た。

日曜日の映画館。fuck人ごみ人間にはダメージ大。みんな、電車乗って来ているんだよね?朝から頑張るなあ。

三時間ほどの大作なので、おしっこの近い人は、レンタルが始まるまで我慢した方がいい。
暗闇で足元もよく見えていない中、何度も席に立つ年配の方々が大変そうだった。


ウルバリン、強いだけではなくて歌もうまいんだね。

マンマ・ミーアの女の子も、変わらずかわいすぎた。


とても良かったけれど、思ったほどではなかった。

どこかでくだらないと思う自分がいて。

こういうものを作れるのだから、現実世界のためになることを、いくらでもできる強大な力を持つ人はいるわけで。なんだよな、と。
ままごとというか、ごまかしというか、まやかしというか。付き合ってられないぜ、というか。

ま、映画は映画でしかないわけで、そこに期待をするのも違うのだけれど、この虚しさはなんだろう。

中学三年生のとき、現実世界がつまらなすぎて、周りの人たちが皆馬鹿にしか見えなくて、受験というシステムに価値を見いだせなくて、映画の世界で夢を見ていた。

現実世界は映画よりもっとずっとどぎつい。

またいつか、思いっきり映画の世界に浸る日が来ることを願うばかり。




その後、長い付き合いの友人と一年ぶりに再会。


一年前、まあいろいろあり、ぐさっとくるダメ出しをされて、それが的を得ていたこともあり、何となく自然とお互いに距離を置きだした。
多いときは週一ペースで顔を合わせていたのに、極端かな今日までのおよそ一年、お互いがどこで何をしているのか全く分からなくなった。




少し考えてから、年末。例年通り、年賀状を書くことにした。

年明け。例年通り、手書きの年賀状が返ってきた。


年をまたぐ年賀状のおかげで、僕らはまた、一緒に笑いあった。

年賀状様様である。


話の展開と一切関係なく、突然「あのときはごめんね」と、謝られ、僕も即座に謝った。


「会えてよかった。」と言われて、僕も心から同意した。
先手先手を今日は取られてばかりだった。


いつ死ぬかわからない。いつ途切れるかわからない。自分がどれだけ思ったところで、確かなことなんて何もない。
だから、大切にしようと思うのだ。大切にしてもしなくても、なくなるときはあっという間。
どうせなくなるものだとしても、だからこそ、なおさら、いっとう大切にしたいのだ。

‥ひねくれているだろうか。

何事も有限であることを、僕は知っている。



‥壊れたということは、つまり、裏返せば、つくりあげることができた、ということで、
例えば作品が完成しなければ、それが壊れる心配も可能性もないわけだし、

人との関係性が壊れるまでいったのは、それまでが確かであったという証拠なのかもしれない。

ならば、別れや行き違いはある意味では歓迎すべきことでもあるのか?

壊れるリスクを恐れて上っ面だけのいいとこ取りなんかも御免だ。

また、最も肝心なことは、作品はどうしたって一人ではつくりだせないという点にある。


あえて苦しみたくなんかないけれど、そんなこんなを今ふと思った。

「破壊」と「再生」同義語説、突如誕生。



出会ってくれてありがとう。


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