シンプルを極めた美しいカヌーの形は、実は百年以上前に完成している。
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かつてH氏とコーヒー談義をしていたとき、
『何かの本で「シンプルを極めるとピュアになる」との言葉があるよ』と教わった。
良い言葉だな~、まさに僕が表現したい理想のコーヒーじゃないか!と、記憶した言葉は、目の前に佇むカヌーにピタリと当てはまるようだった。
…一歩間違えるとそのコーヒーはアメリカーノとなる。
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シンプルを極めた美しいカヌーの形は、実は百年以上前に完成している。
素材は変われど、工業製品になれど、形は変わらないのだ。
作り手:匠さんは言う。「飾ってもらいたいんじゃない。使ってもらいたいんだ。」
…民藝オタクの店主から教わってきた「用の美」的概念が自然、頭に浮かんだ。
インドアとアウトドアの違いはあれど、核としてあるものは一緒だ。境界なんてのも本当はないのだ。コーヒーもカヌーも、僕らだって、水がないと生きてはいけない。
暮らしの道具として、既に完成されているカヌー。
すべての水が、「暮らし」という大河につながっているように感じた。
何をしても、どこにいても、行き着く先はきっと一緒なんだろう、と。
用の美(ようのび)とは - 俺の国語辞典
意味:道具は使われてこそ美しいという考え
道具は本来、飾って眺めるだけのものではない。また使うことができない浮世離れしたデザインであっては人に使われない。この世に形ある道具の本当の美しさとは使われている姿ではないかという問題提起である。拡大解釈すれば、美術品等もコレクターズアイテムとして死蔵するのではなく一般公開して人々の日常にあらしむるべきだとも考えられる。
かのあ代表、試乗。
この美しい乗り物、君の名は、ウッド&キャンバスカヌー。
名前の通り「木」と「キャンバス」でつくられている。
どうやってつくられているのか、とか、なんとか抜きに、水に浮かんだこのカヌーはただただ、美しかった。僕は美しいものにめっぽう弱い。
作り手は福島の「月とカヌー」。
毎年顔見知りに手渡したり販売している「月のカレンダー」・「ムーンサークルカレンダー」の制作者でもあります。
カヌーをつくるために、物語は工房づくりから始まった。「すごい」以外、なんて言えばいいのか分からない。
年数や数字で簡易表現するのはどうかと思うけど、制作日数は「およそ12年」。
情熱を燃やすのは誰でもできるけれど、消えない炎を燃やし続けること。思うこと。続けること。
なおきさんが昔つくったウッド&キャンバス↑も、匠さんのもそうだが、既製品では味わえない乗り心地、感覚を得られる。酔いしれるというか委ねるというか、とにかく、居心地が良く、ここにいれば、これがあれば他には何もいらない、心も体も満ち足りる、そんな気持ちを抱かせてくれる。
乗っても、眺めても、美しい道具。
自身ははて、どうか?美しく在るか?
自分が味わったとっておきの感覚を、思い浮かぶ大切な人たちにも味わって欲しい、と思った。
【月とカヌー】作の美しいカヌーは今後販売予定。
好きな色にできる(既製品ではそうはいかない)そうですよ。
不器用な僕は自分で作るより匠さんのつくったカヌーを使いたいなと、色のイメージを膨らませて内なる宇宙に浮かんでいる。
知床でシーカヤックツアー、冬はニセコで雪崩情報を流している新谷暁生さんの言葉にも
「道具は使うためにある。そして使えば壊れる。」(『73回目の知床』より)
とある。この場合は道具=身体のことだったけれど。
よし子さん(月とカヌー)は言っていた。
「道具は使うもの。使えば壊れる。壊れたら直せばいい。(…その土地の材料を使えれば手っ取り早いよね。)」
ウッド&キャンバスカヌーはリブ一本(パーツのひとつ)さえ残っていれば、その魂を継いで直せる、とのこと。世代を超え、子から孫へと物語を継いでいけるのだ。
ずきゅんわーずを色々ご紹介しましたが、最後は当ブログでも何度か書いている大好きな匠さんの言葉で締めます。
「カヌーとは、ルーレット。いつどこで誰と乗る事になるか分からないルーレット。」
次は誰と乗れるかな。
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