先日、某所にて銀杏を拾った。
独特な香り。世間一般には銀杏=臭いの方程式が成立している。
道産子店主は人生初の出会いだったようで、なるほど確かにこりゃ噂通りに臭いのねと顔をしかめつつも、せっせと拾ってくれた。
ちなみに、「銀杏」といえば【茶碗蒸し】のイメージだが、北国では「栗」である。
ちなみに、「イモ拾い」といえば東京では「サツマイモ」であるが、こちらでは「ジャガイモ」だそうな。(今はサツマイモもとれるようになってきた)
紅葉といえば神宮の銀杏並木。イチョウは東京都の木でもあった気がする。江戸っ子には馴染み深いものである。
が、思えば私も自分の手で拾ったのは初めてかもしれない。
うーむ。臭い。確かに臭い。
しかし、しかし、何故だろう。そう言いつつも、また嗅いでしまう私がいる。思いっっきり嗅いでしまう私がまっこと確かにいる。
これは、どういうことだろうか。道産子店主は深呼吸する私からすっと離れた。
これは、どういうことだろうか。体内の細胞単位で喜んでいるようなこの感覚。
自分にとって、シンパシーを感じざるを得ない香りであるようだ。
私がまだ胎児だった頃。
三人目ともなると余裕があるのだろう。母は「そろそろ出したいなあ」と思ったそうな。
胎児に刺激を与えるべく、仲間と連れ立って向かった先は「新宿○苑」。
目的は銀杏拾いという名の運動である。
先日判明したが、バスケットボールも使用し、樹上の銀杏も標的としたそうな。本気やん。
そんなこんなで、銀杏に誘発されて私はこの世に産み落とされた。
胎児の記憶、匂いなんてのもあるのだろうか。
だからかどうかは知らないが、元来私は臭いものが好きだ。
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