さて。
変な天気。みぞれなのかあられなのか雹なのかが降ったりやんだり晴れたりしたよ。
(春のハスカップ畑)
私は先日、三密のさの字もない環境で米労働に身を費やした。
筋肉痛もだいぶ落ちついたわけだが。米作りは大変ダナー。感謝しかないなー、と感じ入った。
しかし、それはあくまでそこのやり方。
カヌーガイドにも遊ぶことしか考えない不埒な人、技術はないけどカヌーが大好きな人、暮らしの道具を積み込んで数日の川旅に誘う人、冬のためにカヌーを漕ぐ人、
まー、いろんな人がいる。
農家さんも十人十色である。
一を知り十知った気になるのが人間。
一は一である。
何が言いたいかというと。
私が2日間身体をいじめ抜いた作業。
実はある畑では、機械が代わりにやってくれる、口笛吹きながらできるなんてことない作業工程であることを本日教わった。
自分が見聞き、知覚した世界が、世界のスタンダードかどうかはわからない。
つい錯覚しそうになるが、決めつけるには早すぎる。
それがすべて‥とは限らない。
いつも、「‥かもしれない」を頭の片隅に置いておきたいものだ。
何も否定したいわけではなく、そんなフラットな眼で世界と対峙していたいな、と。
「大切なものは目に見えない」(星の王子さま)‥かもしれない。
何も知らずに支笏湖の美しさを讃えるのも良いが、
あちこちの素晴らしさを知り、その上で支笏湖の美しさを讃えたい。
外だけでも、中だけでもなく。
インドア、アウトドア。水と土。どちらも必要。
‥かもしれない。
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