乙武さんが昔言っていた。
「障害は不便だけれど、不幸ではない」
とある湖畔にて。
家を建て、持てる荷物で、贅沢ではないが五感に沁みる食事。暗くなったらシカたちの声をBGMに早々に眠り、太陽とともに目覚める。サウンドは鳥の声に変わり、よく分からないなりに聞き分けて楽しむ。
見やった目の前の湖が凪いでいたらそっとカヌーに乗る。
一息ついてお湯を沸かし、豆を挽き、コーヒーを淹れる。
おきざりにしてしまっているものを取り戻す不便への回帰。
今年も千歳川にはサケがかえる。
便利さを追求し続けてきたぼくら人間がかえる場所は、猶予は、まだ残っているのだろうか。
一杯のコーヒーを飲むまでの工程が長びくほどに、スペシャリティーな味わいとなる。
この、感謝。これを忘れたくはないのだ。
淹れるためにお湯を沸かす段階もそうだけれど、豆を焙煎するためにも火は欠かせない。
だから、カヌーなのだ。コーヒーなのだ。やはり、これらはとっておき。
暮らすことに一生懸命になることを忘れないよう、現代にも細々とカヌーというフォルムが残っているのだと思うことにしてみている。
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