2018年5月13日日曜日

偏愛と埋没

あれができるようになるまで‥。
そんなことをしていると、やりたいことが何ひとつできずに人生が終わる。

「try&error」。
仁淀の教え。今年のテーマ。能書きたれるより唄をうたうより先に手を動かせと先達は言った。失敗は挑戦しないことにはできない。
もっと自由でいいんだぞと、天塩も仁淀も同じことを言う。


canoeとcoffeeが好きだ。ふたつはひとつ。
どちらについても、言語でうまいこと説明ができない。言えば言うほど遠ざかる。
どちらについても、分からないことの方が多い。ぼくより知っている人はいくらでもいる。しかし、それはたいした問題ではないことも分かっている。自分「が」やること。そこに価値が生まれる。

しっかし、どこまでたどり着けば、知った気になるのだろう。

この世界にはこれでもかというほどあらゆる線がひかれている。消しゴムで消すには気の遠くなる時間が必要だ。
常識や当たり前、規律やルール、こうあるべき、こうしなさい、という様々なくだらないけれど数という圧だけは凄まじい追手から逃げた先は、水の上だった。
水の上に縁がなければ、ぼくの人生は早くに尽きていたかもしれない。

手の内の、一杯のコーヒーを欲するのも安心するのも惹かれるのも同じことなのだろう。

水は分断するのでなくつなぐ。

ビシッと白黒はっきり線を引けない、引く必要のない曖昧な世界が好きだ。
『新宿ベルク』の迫川副店長は「ゆらぎ」と表現する。

窮屈な世の中になっていくほど、canoeとcoffeeの必要性が高まる。

「分かっていることは、「分からない」ということだけだ」
by沢木耕太郎。

際限ない「分からない」を抱えて進むのが、モラルある人間のとるべき真っ当な手法だろう。

水と対話ができるようになりたい。なんとなくでなく。

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