以下思考整理の独り言。面倒くさいので読み流してね。
写真は「野々傘」の冬季限定メニュー。肉たまカリーうどん。どろりっち。
目を閉じて、まあるい円を描いてみる。
その円の五倍の大きさの円を想像してみる。
線の違いに愕然とする。
それでもきっと、それよりさらに、五倍どころではない円がさらに大きく描かれていたに違いない。
主観と客観、自己と他者のズレについてのお話。
沢木耕太郎は「自己に淫する」と言っていたが、若いときは多かれ少なかれ皆「自己に淫する」はずで。
ぼくの場合はそれが非常に激しく、また、長期に渡っていた。
人からどう思われるか。どうでもいいとずっと思い、言葉にしてきた。
「どうでもいい」ということほど、ものすっごく気にしていることであることにも気付いた。言葉の使い方を間違っていた。ぼくは言葉を全部裏返して使うことに慣れ切っていた。
いいかげん、これから先の人生は自身の感情を認めてあげることにする。きっと、強がりなだけだったのだろう。諦めていたのだろう。
耳をふさいで、とにかく、自分の声ばかり、声だけ聞こえるように。
人の声を聞くことがこわかったからなのかもしれない。現実を受け止める準備が整っていなかったのかもしれない。すべては、曖昧な記憶だけが手がかりなので仮定でしかない。
とにかく他者の目が、声がこわすぎて、対処するためにとった戦法は、すべてを無に帰す「見ないふり」だったのかなと、ようやく今振り返って思う。ぼくはあまりに弱かった。
誰かに刺激される感情に夢中で、ぼくの存在が誰かに与えていた感情というのがあるなんて、あるかもしれないなんてこと、まさか夢にも思わなかった。
世界の色は変えられる。自分が変わってしまえば世界がついてくる。
置いていかれるか、世界。むしろ、置いてく勢いで、世界。
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