氷濤会場がどういう状況なのかは毎日支笏湖温泉街内にいても足を運ばない限りは分からない。
風の噂やフェイスブックで事情を知る。忙しくなると風の噂は途絶える。
「事件は現場で起きている」とはよく言ったもので、現場を離れると、当事者意識はどうしても薄れる。
寄り添うというのは本当に難しい。三日会わなければ顔を忘れる。
去年初めて氷濤まつりを中(主観)からではなく外(客観)から見ることとなり、
制作内部の熱量と外部との温度差を肌で感じた。
「井の中の蛙」ではないけれど、なんというか、失望感や悔しさだったり、なかなか衝撃的視点を得た。
どちらの捉え方も現実であり、真実であり、
どちらかだけでなくどちらにも手を伸ばすと悩みが増え心がちぎれるというのは、何度も経験してきた。
より良い仕事をしたい。自分を活かし切りたい。冬のすべてを店に注ぎたい。
家も店も、「箱モノ」は人のエネルギーで動く。
‥ある意味、「乗り物」!
支笏湖温泉街もどことなくそわそわしてきた。
「(今年も)来るぞ。」
誰も逃げない。逃げられない。むしろ、迎え撃つ。なさそうであった商人の血が騒ぐ。
最近の掘り出し物、そろばん。
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