派手派手しく着飾った食事もいいけれど、心にも胃腸にもやさしいのがいちばん。
photo by Chika.O
米は【ユニフレーム】のライスクッカーで炊く。
気持ちの問題だろうか。美味しいのだよなあ。ぼくはシンプルな【ユニフレーム】製品が非常に好きだ。
来客者は皆、炊飯器ではないことに驚く。タイマーはぼくだ。
遠出をする日の朝には、おにぎりがないといけない。
海苔はなくても良い。具には、梅干し(紀州南高梅、酸っぱすぎないはちみつ梅が好み)か、かつお節か、しょうゆ漬けにでもした鮭が良い。
豪華にも梅干しとかつお節の合わせ技を決めることもある。【サーモス】のスープマグに味噌汁が入れば、もうこれ以上他に何もいらない。味噌汁の具はなくてもよい。箸を忘れ、指で掻き出すことになりがちだから。いや、卵焼きがあってくれても良い。漬物も一口。
潔癖症づいている昨今では、何やら他人が直接手で握ったおにぎりは食べられないという新人類も参上しているとかいないとか。他人どころか恋人のつくったものですら受け付けない方もいらっしゃるとかいないとか。
愚かな時代だ。逆に「不」衛生だ。
ぼくは嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。お店ではお金を払いさえすれば、自分のためのコーヒーが出てくる。それも素晴らしい。お金で健全なぬくもりを買うのは素晴らしいことだ。お金をもらうから背筋が伸びて高まっていける。
しかし、お金を介さず、誰かが自分のためにただただ淹れてくれるコーヒーは訳もなく美味しい気がしてしまうのも確か。大事なのは味じゃないのだよね、気持ちを頂くのだ。
「おにぎり」の「お」は、「おふくろ」の「お」から始まり、いつしか「己」の「お」に転じるものであるらしいことに気付いてしまったのは去年のこと。衝撃的失望感を味わいつつ、ぼくはメゲずにおにぎりを握り続けた。
人生が終わるとき、誰かにおにぎりについて問われる機会でもあったなら、
『「おにぎり」の「お」は、ひとりぼっちの「己」ではなく、「お互い様」の「お」なんやで』と笑って周囲に希望を抱かせつつ死ねたら本望。
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