別に、「休むな!」と、強要されることもなく、「休め!」と誰に言わせることもせず、本当に自由にやらせてもらえている。
親のしつけがよかったのだろう。あーだこーだうるさく言われることには我慢ならないぼくがここに居続けているのは、知れば知るほど変人な社長様が「好きにやってよ」と放任主義を貫いてくれるおかげ。
‥いや、ただ、どうにも矯正しようがないから諦められているだけかもしれない。
働きたいだけ働く。
今のぼくにはただ、人には任せられない、譲れない部分がちょっと多い。あれにもこれにもこだわらなければ、もっと楽になるのだけれど、別に楽がしたくて暮らしているわけではないし、そうでもないものを提供するならやるなよって思うし、質の低いものを分かった上で提供するのは、サービス業のモラルに反する。
人は「店」や「ツアー」に何かしらかの夢を抱いてくる。イメージを壊さぬように、もてなす側は細心の注意を払わなければならない。それが「仕事」。ごくごく自然に、何でもないようにふるまう。
最低ラインを下回る行為は断じて許されず、許してはならない。口うるさい人は嫌いだが、ここでぼくは一番口うるさい。
ただ、何にも背負わず文句だけ言っていればいい頃にはもう戻らない。第一面白くない。役割はめぐる。ぼくは【かのあ】に夢を抱いているのだろう。「こうであってほしい」が、言葉にはできないけれど、明確にある。それを裏切ることはオタク心を傷つけることもよく分かっている。ぼくは自分を裏切りたくないからこだわり抜くことを貫く。
アイドルはどんなときもアイドルでないといけない。レディー・ガガはいつでもハイヒールを履く。
そんな、日々のあれこれを、会った瞬間から取っ払ってくれるのが、友だち。
ここには、本当に大切な人しか来ないのがいい。ぼくは互いに大切な人とだけの関係を構築していたい。
今日もありがとう。東京で会うのも嬉しいが、ここで会えるとより嬉しい。
PS.
一方通行の思いは疲弊し消耗するだけな気がする。かつては、どんな固くて面倒臭い扉でも開くまで叩き続けて、開けたからには受け止めてきたけれど、
やはり、無益なことはしなくなってきていて、それがつまり、年を重ねるということなのかもしれない。
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