2016年6月23日木曜日
絶滅危惧種、カヌーガイド
夏の店を回すために必要なスキルは、効率、テンポ、スピード、エネルギーの節約、時短であり、日々のツアーでカヌーガイドに必要なスキルとは真逆なものだらけである。
ふっちゃんは右耳でぼくの話を聞き、左耳でだいごろうの話を聞く。なんだかもう聖徳太子に見えてきた。
久しぶりにツアーに出れると、素直に嬉しく、仕事終わりに漕がなくても大丈夫だから時間節約になるし、苦しい顔もしないで済む。いいことづくめだ。結果、いつもより少しやり過ぎる。
ぼくらは、カヌーを身体の一部とし、お客さんがカヌーを操れるようにサポートをしながら、自然の中でのリスクマネージメントを脳内で構築しつつ、その時々、一度限りの空間をプロデュースする。不思議な仕事だ。必要な能力は多岐にわたる。しかし、担当ガイドによってツアーの色は全く異なる。
「喋り」に資格や認定試験はないし、見えないし形にも残らない。
言葉の操り方にも正解はない。ただ、それぞれの思考や作法や癖なり技がある。
ぼくはこの仕事で夏の間、暮らしてきた。生かされてきた。存在自体は恥だが、自分の暮らしには一ミリだって恥の欠片もない。悩み苦しみ笑い泣きながら積み重ねてきた自負がある。自惚れない程度のつもりの自信だってある。遊びだと誤解を受けることが多いが、れっきとした仕事であると、今なら怯むことなく言える。
安売りはしない。ぼくらはお高い。
さらにお高くなるために、思いっきり楽しいことをまずは自分が享受しないといけない。楽しむことを追求することが楽しみを提供する側には常について回る課題。もっとぶっ飛んだ空間をつくってやりたい。まだまだ、つくりたい世界はどこまでも拡がり、深まりそうだ。
正解はない。
ただ、ひたすら、毎日毎日共有して、どんなコンディションだろうとぶれないかのあツアーの足並みを揃え、質を整えていく。
どこまでがかのあイズムで、どこからが個人的見解か。
今まではなおきさんのツアーがかのあのツアーで、ぼくのツアーがかのあのツアーという感があり、実際そうだった。
いちいち言葉にして話し合わなくても、一番大事なとこ、共通見解が無意識下で一緒な気がしていたことを、あえて言葉にしてみていくとその情報量がいかに膨大であったことにようやっと気付かされている六年目。まっさらなはずもないわな。それなりに積み重ねたものもなくはない。よりよくなるために捨て去るものもある。
まあ、なんつーか、ぼくが一番【かのあ】好きなのかもしれない。
オタクがアイドルに求める理想は常に高い。
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