2016年4月17日日曜日

春を食べれば

くせ【癖】
[名]
(1)無意識のうちに身についてしまった言行。また、習慣となっている行動。
(2)普通ではない、そのものに特有の偏った性質や傾向。
「癖のある文章」
(3)曲がったり折れたりした跡がついて、元に戻しにくくなっていること。
(明鏡国語辞典より)




一日を過ごす中でも、ぼくらはありとあらゆる選択を迫られる。
一癖二癖三癖四癖。人の数だけ癖がある。どれが良いとか悪いのでなく、性質。
生き延びるためにそれぞれに身につけていく処世術ともいうか。
もしくは、長所。または短所。

何が起きたとき、いかに気づき、どう捉え、どのように動くか。
これらはセンス?生まれつき?モラル?心?育ち方?
いや、多分、もっと総合的な、生き方・暮らし。今までの積み重ね・集大成。これからへ向かう意識の高低・質。

「行動」は、いかに生きたいかという脳内イメージの発露。
何をしているか、「行動」=「名刺」でありたい。

下を向いていると、福寿草の黄色には気づけるが、上を向かないと空の青さはわからない。
福寿草も、青空も、両方愛でたい。「生命」は等しく尊い。優劣はない。
どっちもせっかくあるのだから気づいてあげたい。ぼくは気づかれたい。透明人間はつらい。
どちらにも気づける人はそういなく、歩き、飛べる人は稀であることも判明した今冬。お店はぼくの思う弱点、どうしても受け入れきれない部分を長所だと肯定し直し、消さずに伸ばす道を、行き場を断った能力を生かす絶好の場を提供した。
せっかく与えられた才能を最大限に使いこなさなかったらどうするのさ。そう背中を押してくれた。難解すぎる「自分」の乗りこなし方をようやっと掴めた気がする。

誰のまねもできない。ぼくはぼくでしかない。ぼくのまねも誰もできない。
誰でもできることは誰かに任せて、ぼくにしかできないことを追い求め、まだ見ぬ素晴らしい世界を見てやりたい。


いつもやらないことが有事に突然できるはずがない。不自然な振る舞いはすぐにボロが出る。
日常生活は、ガイド業はそれらをトレーニングするに最適。毎日、いろんな人の目に自らを晒し、瞬時に試されながら、信頼を得ていく。
怠けるもさぼるも各々。ただ、一瞬間ごとに妥協を重ねる度、たいしたことない人間に仕上がる。
ぼくはたいしたことある人間になりたい。なるだけ、毎日、楽でない方を選びたい。もっと苦しみたい。もっともっと、面白くなりたい。ごっこ遊びや馴れ合いは終わり。意味のないことはしなくなっていくんだろう。楽しむために妥協したらいけない。

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