初めての氷濤マンでない冬。
好奇心がうずいた。
客観的に、外から見える氷濤まつりとは、はて、一体どのようにぼくの目には映るのだろう。
物事をちゃんと知るには中だけでも外だけでもいけない。
支笏湖温泉街の、とあるカフェから見る氷濤まつりについて、今年は書ける。
現場の声も拾わなければ。
しかし、数名の氷濤マンたちからの話を聞いていると「…ん?」となる。
同じ場所、同じ空間にいるはずなのに、人によって捉え方は様々であるようだ。まるで逆の見方をしていたり。真実はどっち?
その人ごとの熱量や立場、思考回路の癖等を鑑みて、現実に限りなく近いであろう事実を推察する。
しかし、やはり何事も自分の目で見ないものには、たいした意味も価値も信用もできない。ルポルタージュってなかなかやっぱり測り方が難しい。
○を○のまま、伝える面白味のない人間はいない。
いちばん確かなのは自分自身、目の前で展開する半径五メートルの世界だけ。
しかし、やはり、特殊なコミュニティーなのは、妙な目の輝きで一目瞭然。熱中しないとやりきれない中毒性の高いまつりなのは確か。
何が良かれかはわからないけれど、ぼくも、例外に漏れずぶっ飛んでいたんだろう。
ま、どこでも、いつでも、か。
何においてもやはり、事件は現場で起きている、という安易な結末。
内部の面白さが世間に知れ渡る日は遠い。知られたら困ることだらけだし。
客観的思考を求められるルポライターは失格か。
そんなわけで、
氷濤まつりをもっともっと誰よりも楽しみたい方は、氷濤マンになるのが一番の近道ですよー!
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