2015年12月25日金曜日

一杯だけのコーヒー屋


forget me not。わすれな草。尾崎豊。

すっかり忘れていた。

only one cup of coffee shop.

数年前、自分の好きなコーヒーひとつしかない、頑固爺…頑固親父が営むような、メニューのないコーヒー屋をやってみたいと思っていたこと。



大切なことほど、人は忘れる。自分のことほど、忘れる。




そっか、やりたいことだったんだ。
やりたいことをやると、次から次へとさらなるやりたいことが見つかるね。

昨日、とあるbusy manに「コーヒー、おいしいよ」と誉められて、初めてのおかわりを注文された。

お世辞でも何でも、素直に嬉しい。

誰にイマイチと言われても、ぼくにはこのコーヒーが最高。
いろんなコーヒーがあってそれぞれにおいしい、けれど。
けれど、けれど、けれど‥

世界中の水を見なくても、ぼくの世界一はここにある、ように。
世界中のコーヒーを飲まないでも、ぼくの世界一はここにある。

大事なのは、きれいな水も茶色い水も一緒。

同じものを見て、同じものを飲んで、同じように感じる人、言葉でなく心で会話がしたい。
美しいものを見て、美しいと、ため息ひとつで、シンクロしたい。
いつも、もどかしい。カルチャーショックを感じてばかりだから。

ぼくはおかしいんじゃないかと、いつも思う。おかしいのだ。どこにいようと、いくつになってもそれは変わらない。
本当はみんなおかしいはずなのだ。まともなふりがうまいか、まともなふりをしたいか、それだけなのだ。
だから、先にぼくが恥ずかしい自分を出していれば、安心してみんなおかしい部分を解放できるのではないかと。

感性の共有はしたい。けれど、強要はしない、したくない。できないし、違う。
物体のない心は誰にも侵されてはならない領域だ。

どう感じるかは自由。
みんな違うから面白い。どの感じ方が偉いわけでもない。
各々、気持ちよければいい。

気持ちよくなることにもっと誰もが素直で貪欲になれる、風通しのよい世の中になればいいとぼくは思いながら、今日もコーヒーを淹れて、カヌーを漕いだ。


開店前、朝冬支笏にて。






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