2015年9月18日金曜日
さらば、休日。ようこそ、ケーキ。
昨日、何となくソトカフェツアー参加予定人数とケーキストックを照らし合わせてみた。
写真は、フォトフレーム選手権1。
ワイルドだろう。
おかげさまで、九月も夏。
ツアー用ケーキ、足りなくなりそうだったよ。危ね危ね。ツメが甘いのはいつものこと。
洗濯とかベーコンの薫製仕込みとか、まちゅぴちゅ執筆とか、遠くの友へ頑張れたーとかしたためている場合ではなかったよ。
未来予想図の描き方、ドリカムに教わりたい。
夏を凌いだのだから、シルバーウィークごときに命のケーキを摘まれるわけにはいかない。
このケーキの重みを分かってくれているのが、なおさんと、どるふぃん。
たかがケーキ?されどケーキ。何が詰まっているか知ってから物を言いなさい。
チョコ、ホワイトチョコ、くるみ…
…なんでやねん。
ぼくは、困り果てたそのときにただたた、助けてくれた人たちの気持ちも一緒に混ぜている。
執着しているのは、こだわりたいのは、倒れる寸前までケーキを焼き続けたなおさんと、ぼくが巻き込んだ人の顔があるから。
美味しくならないはずがないでしょう。
途絶えさせたら男が廃る。
言葉を書くときも、ケーキを焼くときも、ぼくは「つくる」となると気持ち悪いくらいに集中する。適当にするといいものができない。
表現ってのは尖っていないと。
尖っているときに、ノイズは不要。ぼくはエゴイストだ。
何かをつくる人は皆、自分だけの聖域を持つ。
ペースを乱す侵入者はすべて敵となる。
パドリングも書くことも、ケーキつくりも、セックスと一緒。
全部、中毒性の快感が伴う。どれも楽しいだけではない。辛いことも増えてきた。
けれど、だから、愛しい人と漕ぐカヌーの意味、深みが増していく。本当に大事。一番大切。
この国は相変わらず命を、集う民を、ありんこか鼻くそだと思っている。
そんなときでもぼくはカヌーにあなたを誘いたいと思ってしまうんだ。
十年前、漕いでいた。十年後、漕いでいるのだろうか。
この国は国としてあるのだろうか。ぼくらは今と変わらず愛を唄えているだろうか。
あちこちに脱線して恐縮。
ぼくは人に見られて快感を倍増させる質ではない。萎えるからどうか、対象と集中させて。
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