先日読了した角幡唯介さん著『探検家、36歳の憂鬱』内で触れられていた一冊に手を伸ばした。
内容は、
世界的クライマー、山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカンへの挑戦。
どんな状況でも取り乱すことなく冷静に対処していく二人。か、格好良すぎる。
後半、想像妊娠ならぬ想像凍傷の痛みに襲われ寒さに歯までがたつきしばらく震えがとまらなくなった。
沢木耕太郎さんの淡々とした書きっぷり。
その場にいるかのような錯覚を何度も起こす。
書き上げるまでに沢木さんはどのように山野井夫妻との関係性を構築していったのか。
本当の言葉は、人と人との間からのみ生まれる。
ぼくはちゃんと向き合い、生み出せているだろうか。
本文よりちょいとずきゅんわーずご紹介。
◎山野井泰史さんのメモより。
《最新の装備に囲まれ、ピンク・フロイドを聞きながら、生きて帰れないかもしれない山に挑戦する私。
かたや、父を亡くした十三歳の少女は、ヤク・ドライバーとして厳しい環境で働かなくてはならない。一枚のビスケットに幸福を感じながら。
これでいいのか。
自分の人生は間違っていないのか。
しかし、残念ながら、あの山を見ると、登らざるをえない自分がいる。》
◎一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。しかし、十八本の指を失ったことは、妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。誰を恨んだり後悔したりする必要があるだろう。戻らないものは仕方がない。大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけだ。
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