いつかの年の父からのお年玉は、2010年開高健ノンフィクション賞を受賞した角幡唯介さんの『空白の五マイル』だった。
お堅く、ハードボイルド、これぞ男。
ぼくは「これぞ男」風文体に拒否反応を示しかけたのだが、気付けばあれよあれよとツアンポー渓谷の奥へ奥へと誘われていった。
この鬼気迫る情熱量は、ナンダ?
思いが重たいくらいに詰まっていた。
学生時代か何かのとき、仲間のひとりがカヤックで著者を助けようと亡くなった。彼がカヤック乗りだったということもあるが、ぼくには主題であるツアンポー渓谷以上に、この件がとても印象的だった。
最近知った「忘己利他」という仏教、天台宗の言葉には、
「己を忘れて他人のために尽くす」というような意味がある。
カヤックで亡くなった彼はまさにそれを行動で示した。
彼は死んでしまったけれど、とっさのときに自分より人のために動いた自らを誇りに思っているに違いない…というような解釈が確かなされていて生前の彼の人間性からもそれはうかがえる。
で、それ以外に角幡さんの文章を知らなかったぼくは今号のビーパルでそれはそれは凄まじい衝撃を受けた。
…子どもというのはすごい。
空白の五マイルでは研ぎ澄まされた鬼のような(勝手なイメージ)角幡さんが、デレーッと鼻の下を伸ばしきって(これもイメージ)親ばかモード全開、で「俺の子どもは上戸彩に似ている」である。
今度の探検、行きたくねーな、離れたくないな、なんてことまで言っている。
ああ、と、思った。
家族、大切な人というのは、アホな野郎たちに
この世、今ある足元への執着心を抱かせ、命拾いをさせてくれる存在なのだな、と。
大切なものはいつだって、すぐそばにある…かもね。
ちゃんちゃん。
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