昨夜、【ニセコのすごい人】の、大切な言葉を教えてもらった。
まわりから冬のことを聞かれるようになると、「ああ、また、秋がきたのだなあ」と実感する。
自分の中に備わっている「思い」の熱量を、自分だけの尺で量りはじめる。
近所の遊び人「今年はどうすんだ?どうせ、すぐ本州行っちゃうんだろ。」
‥あ。
11月前半のカヌー遠征のことは少しずつ詰めていたのだが、冬全体のことは全く何にも考えていなかったことに聞かれて初めて気が付いた。
九月末にプレゼントされたこの、「どうせ‥」が、尾を引いていた。ぶっきらぼうで少し投げやりに響いた「どうせ」の中にいろんな思いが詰まっている気がした。
本当の思いは音の中にはなくて、心の中にある。
そうか、おれ、「どうせ冬はいない人」なんだ。冬はいないのが普通になっているんだ。寂しいな、と思った。寂しいな、と思ってくれてもいたんだな、とも。それはぼくには発見だった。それはそれは、嬉しい発見だった。
大好きな湖や川に町、人、カヌー、コーヒー、山、雪‥ありとあらゆる「生命」が声高らかに唄っている。
続きはまた。
冬には本州に来てくれるんだよね~。
返信削除と思う人もおりますよ。
モノゴト、両側あり。
>茂木の鈴木さん
返信削除お疲れ様です。コメントありがとうございます。飯能人が会いたがっていましたよ~
あら嬉し(;_:)
とりあえず11月中ごろ、友人の結婚式で宇都宮入りです。前後で会えるかなあ。