ワールドワイド、インターナショナルづいている今年のSotocafe。
といっても、相方さんは日本語が通じるケースが主だった。
今日は、ついに、only ENGLISH。Sotocafe史上初の試み。
失うものなど何もない、切り込み隊長は任せろい。ワクワクするなあ。
中学三年生のとき、ハリウッド映画に魅了され、かつては戸田奈津子さんの跡を継いでの映画字幕翻訳家を志しかけた。文化の架け橋に、つなぐ仕事に憧れた。
受験勉強に意味を見出せずに、憎たらしいことに要領は良かったので内申はオール4以上を適当にキープしつつ、手ごたえのある友人もまわりに見当たらなかったので(見つけようともしなかった。決めつけて確かめることもしなかったのは未熟故。)、程よいバランス感覚で一定の距離を保ちつつ、「一風変わった変なヤツ」ポジションを確固たるものとして、自分の手の内は宝物のようにしまいこみ、周りに期待することをせずに、毎日家で映画を観続けた。
思い返せば、僕の現実逃避癖は筋金入りのようです。
普通という言葉に今より過剰に拒否反応を示していた僕は「普通科」に属するなら死んだ方がましだと考えていた。僕は新天地を求めていた。開拓者としての血が騒いでいたのです。
今までの僕を誰も知らないところで、アウェイで、ゼロからつくってみたかった。自分の能力をhomeではないところで試してみたかった。
うーむと進路に悩んでいると、父ができたての新しい高校を見つけてきてくれた。二年次からは大学のように自由にカリキュラムを組める「総合学科」だった。
ここなら自分の習得したい言語を多めに学べて、長所を伸ばせる。やりたいことは既にあるのだから、バランスよく学ぶ必要もない。
志を持ってやってきた、今までにいなかった早熟の同級生たちの中に混じると、自分のコミュニケーション能力の低さに愕然とした。
今の僕は、人と関わることを楽しんで大切にできているつもりでいるけれど、高校生の頃は感情表現の仕方が全く持って分からなかった。分からないことすら分かっていなくて、理由の分からぬ息苦しさで窒息寸前だった。
自分を乗りこなすことができずにただただ悶えていた当時の僕が今の僕を見たら白目を向くだろうなあ。今の僕はだいぶ、操船の仕方が分かってきたつもりでいる。
自分でも信じられないくらい、高校卒業式以前と以後の僕とはまるで別人です。
何があったのかは、またの機会にでも。
よし、英語の勉強を頑張ろうと進学した高校で、何故だか僕は、言葉に救われ、カヌーに導かれ、現在、文化はもとより人と自然とカヌーと支笏湖等をつなげる通訳業務に携わっているわけですが、そうすると今度はカヌーが英語を連れてきて。
人生には無駄がない。やったことすべてに意味が自然発生する。
午後も賑わっております。
お洒落番長くどちゃん。
今年のずきゅんアイテム。シャツ。普段着っぽさがいいね。
モチベーション維持のためにも、着たい服を着よう。
穏やかな湖面だったので沖へ漕ぎ出した。
今年もやっぱり逆光カヌーが好き。
怒涛の三連休のはじまりです。
気張っていこーぜ。
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