新宿に着いたら、β(ワハハ本舗)がASIAに進出していた。
春風が吹いているの、分かります?@シマムタの里。
なびいているのは、「屈斜路ガイドステーションわっか」のオリジナルてぬぐい。
今日やったこと。
洗濯、片づけ、身体のオイル注入、CUBのオイル交換、新ダウンの見定め@神保町。
変わり目の時期だから半額以下になっているのも結構あるが、それでもこちとら平成の財政難。
が、しかし、安いといってもテカテカビニール光沢系は嫌なんだよなあ。でも、モンベル、すごいコンパクトになるんだよなあ。自分のものは自分で背負って歩きたい派としては、「小さくなる」のは、すごくポイントが高い。
軽量・携帯性、デザインと色・形、保温性。バランスに惑い、試着をしまくり結局退散してしまいました。
アウトドアショップは、ディズニーランドよりずっと楽しいです。
靖国神社も皇居も、平日なのに人が多くて、何かと思ったらサクラでした。
サクラがきれいで、ミドリの葉っぱになっているやつも結構あって。明日の雨でだいぶ落ちるんだろうなあ。
振り返れば、常にサクラを見ている三月。僕は誰よりも春を味わっているわけだ。
「春を味わう」、素敵だなあ。にわかに卑猥な想像も膨らむなあ。
「春」自体は爽やかだけれど、「春」という字は、エロティシズム関連によく起用される。売春とか春画とか。
ヤフー知恵袋によれば、‥
・春とは若い時期のことを表わし、それが性的な意味合いを持つようになった
・「生命の芽吹き→生殖→性では?
・思春期の「思春」とは「恋心を抱くこと」。つまり「春」とは「恋心」。
なるほど、なんとなく、なるほど。
昔から僕は、春が嫌いだった。少し動くと汗ばむ、中途半端な気温が嫌いで。妙にうわついた空気がお正月の次に嫌いだった。
花見で羽目を外す酔っ払いとかを見ると、どうしてサクラが咲かないと自分を解放できないのか、不思議だった。サクラがなくたって外でみんなと宴なんていつでもできるのに、やりたいときにやればいいのに、何故やつらはサクラ限定で盛り上がるのか、サクラの都合にだけ合わせるなんて他の木はどう思っているか考えたことがあるのだろうか‥etc、僕にはすべてが分からなかった。花見の後に散乱するゴミも嫌いだった。
春が嫌いだと言えるのは、冬が長くも、寒くもなかったから。
冬の北海道を全部は知らないけれど、北海道に出会って、みんなが春を待ちわびている様子が僕にはとても新鮮でかわいく見えて、つられて僕も春が好きになった。
というか、東京の春は愛せないが、北海道の春は愛でることができる、ということなのだろうが。
でも、僕が一番好きなのは秋だ。秋の東京はすごく好きだ。
どんなきれいな紅葉よりも、僕は神宮のイチョウ並木を歩いているときに、いっとう秋を感じる。神宮に行かないと、僕は秋を感じることができない。
今年もはまだくんと歩くのだろうか。いや、はまだくんが嫌だってわけでは決してないよ。恒例行事だからね。でも、そこにつっこむ人が現れてもいいのだがなあ。
秋。すべてのものが意味ありげで切なくて儚くて。無性に胸を締めつける黄昏時の色やにおいは、たまらなくいい。
ああ、秋が恋しくなってしまった。
秋葉原にいそうなオタクっぽさが個人的にとても気に入っている春の写真で秋をシャットアウト。
明日は、月刊紙「まちゅ★ぴちゅ」制作やら何やかんや。
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