高知といえば、これらしい。
求愛シーズンのウグイスの声‥ではなく、雨音で目覚めた。
霊山寺、道後、四万十。出先での雨は、その土地からのlove callだと僕は思ってしまう。
「あんた、行かんといて〜。」
きれいな着物のおねーさんにすがりつかれてみたいものだ。瓜実顔のね。
着物でなくてもいいけれど。
そういえば、二十歳の僕を引き止める稀少な人がいた。まあ彼女は洋装だったが、なかなかかわいい人だった。
かわいい彼女に何も告げず、僕は新大陸、北海道へ飛んだ。
そこで、あらゆるものに恋をした。
人ありきと思いつつ、もしかしたら恋の相手は"誰か"ではなく、"何か"なのかもしれない。
"何か"を超える"誰か"を見出したいのだろうか。
はたまた"何か"と共存できる"誰か"?
会いたい人がいる。冬の間に蓄えたものが沢山あるんだ。生でアウトプットしたい。もっと知りたいことがある。
時間がなくて、泣きたくなるが、泣いても時間は減るばかり。
でも、人間の頭には水が入っているから水を出せば頭が軽くなる、だから全部出せばいい、
と、ティモールの初代大統領は言っていた。
いつの間にか、二度寝をしていたらしく、近所のおばちゃんに声を掛けられ目覚めた。
「カンタ!ティモール」に誘ってくれたおばちゃんだ。
4/14に、映画と同じ場所、四万十市中央公民館で「武藤類子講演会」があるという。
昔から脱原発運動に関わり、今は福島原発事故の告訴団の団長だ。
街でもどこでも何者かとよく問われる。僕は僕以上でも以下でもないが、人は分類することで安心したがる。
出先では尚更だ。
でも、ここでは僕が何者か知らないのに、そんなことはお構いなしだ。
目の前にいる生身の人間として扱ってくれる。
居心地が良いはずだ。
枯渇した湖が、ぽつり。あたりには何もない。
どうなってもおかしくない瀕死状態。
もう駄目かと諦めかけたそのとき、
奇跡的な地形変動により新たに、確かな川が流入して、子を守る母よろしく、大河は惜しみなくどんど水を供給しはじめた。湖の意志なんて気にとめず、どんどどんどとめどなく。
なみなみと美しい水が注がれて、死に瀕していた湖畔沿いの植物や水中の生物たちも息を吹き返した。
危機を脱した湖は、
自身が池なのか沼なのか、湖なのか、流出河川はあるのか、堰止め湖なのか、人造湖なのか、水質はどうか、美しいのか、どんな魚がいて、誰が見てくれるのか‥
そんなことを考えているうちに自分の仕事を疎かにしてしまっていたのです。
水を枯らしてしまう暇があったら、与えられた限りある命で、育むことに専念しよう、と。
水を湛え続けよう。
それが使命であることを、
大河に救われたことで、自らの役割をようやく受け入れることができたのです。
死に損ないの湖は、つなぎとめられた生で、あの大河が惜しみなく施したように、
新たな生を自らの水でつなぎとめることができる日までは、湖をやめるわけにはいかなくなりましたとさ。
なんちゃってシマムタ物語。
ちゃんちゃん。
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